秋のくれのこれより

塚本邦雄
うぐいす二羽もとめきたりて秋のくれのこれより一日一日(ひとひひとひ)老ゆ  (豹変)
黄葉(くわうえふ)に透くうすき肉人妻の一人はむかしの蜻蛉(あきつ)  (睡唱群島)

近江八幡。
1-LR5__RD21626-7.jpg

1-LR5__RD21441-7.jpg

秋がうしろ見

塚本邦雄
月光の貨車左右より奔り来つ 決然として相觸るるなし  (星餐図)
われに敗れし男は一人、晩秋の晩餐の鮎残しておかう  (約翰傅偽書)
君よわれにひたとよりそへ秋がもう白々とうしろ見する頃なり  ((歌誌『木槿』 1947年12月号))

近江八幡。
1-LR5__EE99671-7.jpg

2-LR5__RD21410-7.jpg

秋風に去(い)に、秋風を行く

塚本邦雄
ムスタキもはや秋風の市中(いちなか)に去(い)ねさにづらふ紅茸少女(べにたけをとめ)  (閑雅空間)
まむかひて秋風を行く今生にわれは何を歌はざりしか  (不變律)

近江八幡。
1-LR5__RD21499-7.jpg

1978年12月の美術手帖。
回顧ではなく、現在の問題として。
1-bijutu_t-001.jpg
2-2014_10_29.jpg
3-2014_10_29-001.jpg
4-bijutu_t_0005.jpg

ほかにおもうべきことある

塚本邦雄
太陽がちぎれちぎれに野分後の民衆廣場(ポポロひろば)の潦(にはたづみ)百  (汨羅變)
漢和辞典に「荒墟」ありつつ「皇居」無し吾亦紅煤色になびける  (魔王)
ほかにおもふべきことあるに秋の夜の薨去の薨の夢のかけら  (不變律)

近江八幡。
1-LR5__RD21513-7.jpg

2-LR5__EE99675-7.jpg

また、1964年東京オリンピックオフィシャル・スーベニア。(昨日まで、”アニバーサリー”と書いていたのはまちがいでした。老衰か。)
国鉄・新幹線の紹介の最後は、「鉄道の問題点」となっています。

 日本の鉄道にはいくつかの間題点がある。その一つは幹線の輸送需要の増加に輸送力が追いつけないことであり,その一つは大都市の通勤輪送が限界にきていることである。また逆にローカル地区は鉄道で運ぶほどの輸送需要がなく,赤字経営となっていることなどである。
 鉄道敷設や線路増設には莫大な資金を必要とし,国鉄ではその資金調達に四苦八苦している。
 このほか,列車が高密度で走っていて,どの列車にも多数の旅客が乗っているので,ひとたび事故が発生すると,犠牲者が多く,社会に与える影響も大きい。日本の鉄道は日本国民の足として安全の確保には国鉄,私鉄を問わず,全力をあげている。


1963年鶴見事故、1962年三河島事故と大きな列車事故の記憶がそれほど生々しかったのでしょう。
1-2014_10_28.jpg
2-2014_10_28-001.jpg

一方、皇居をこのような角度で撮った写真は今日少ないように思います。何故?
3-oyatsuo.jpg
4-LR5_oyatsuo_0001-7.jpg

秋をこもる罪とは何

塚本邦雄
蛮声の従兄(いとこ)チリにて栄ゆらく海に落ちたる秋の雷(いかづち)  (豹変)
父に殴られたる記憶無し 十月の絲杉の黒緑(こくりよく)の鬚かほる  (日本人靈歌)
星住画伯秋をこもれり罪ありて水晶体赤道をわづらふ  (歌人)

近江八幡。
1-LR5__EE99569-7.jpg

2-LR5__RD21422-5.jpg

3-LR5__RD21545-7.jpg

最近、撮影していないので、いつまでたっても近江八幡。
世間は秋だというのに、それらしい写真がありません。
言い訳がわりに、また、染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』から。

場所と事柄(大西みつぐ)
状況を説明するのではなく出来事を撮る

 これらは・・・写真家である私がこの場所で遭遇した「出来事」として示したかったのだと思います。
ワタシという写真家の出来事を常に想像させてほしい
 よく写真コンテストなどに応募されるスナップ写真を拝見していますと、この「場所と事柄」を指し示す、だけで終わってしまっているものがたくさんあるようです。
 私たちが良く知っているはずの情景であっても、カメラ、レンズがとらえた独特のものの見え方が私たちの純然たる興味、好奇心を強く刺激し、見慣れない世界のとして指し示されるというのはやり面白いことなのです。


きのうのつづきも。
1964年東京オリンピックオフィシャル・アニバーサリーより。
1-oly.jpg
2-oly.jpg
3-oly.jpg
4-oly.jpg

刻はひるさがり

塚本邦雄
薔薇の木に刺さる滿月主(しゆ)はひとり寂しきところにて禱りたまふ  (靑き菊の主題)
明り障子の手掛の紅葉祖父(おほちち)の死の刻はひるさがりと伝ふ  (花劇)

近江八幡。
1-LR5__EE99597-7.jpg

50年経ちました。
ウキウキした空気はありましたし興奮することもありましたが、感激したという記憶はありません。
まだ子供でした。
2-yatsuo_0003.jpg
1-yatsuo_0002.jpg

1964年東京オリンピックオフィシャル・アニバーサリー。
紙フェチであっても、整理整頓のできないわたしは、もう1ケ月以上も家の中を探し回っていました。
1-yatsuo_001.jpg
2-yatsuo.jpg

財団法人オリンピック東京大会組織委員会の唯一の公式記念出版物。
オリンピックとその開催地を紹介する内容で、東京オリンピックが開催される直前の出版。
1-2014_10_26.jpg
2-2014_10_26-001.jpg

きよらかに立ち

塚本邦雄
母ならざればかくきよらかに老娼婦立ち かすみたつ黒森(シユワルツ・ワルト)  (緑色研究)
うすべにの秋の曇りに硝子壜吹けり火の硝子ぞ世を劃(かぎ)る  (されど遊星)
原爆忌忘るればこそ秋茄子の鴨焼のまだ生(なま)の部分  (魔王)

近江八幡。
1-LR5__EE99575-5.jpg

2-LR5__RD21449-5.jpg

3-LR5__RD21432-7.jpg

 塚本邦雄が原爆忌やナチィズムや警察官を詠んだ歌を引用するとき、躊躇する心が起こります。社会通念や良識に反するような表現がでてくるからです。しかし、言語表現で自らタブーをつくらないという意思が感じられます。当用漢字とか放送禁止用語とか、確かさが見えない規制に挑むのは、惜しんでも余りある自らの青春への挽歌のように見えます。
 また表現のためには、世間の常識より自らつくった規律につくす誠実さ、義理がたさに学びたい。

 義理堅いということでは、
毎年、かれこれ10年近く、カレンダーをいただいています。
来年のものをいただいているのですが、封を切るのは年末なので、今年分の表紙から。
 おれいも兼ねてぜひ一度訪問したいと思います。

100-yatsuo_0001.jpg

ありすの夢の秋

塚本邦雄
ノアのごと祖父ぞありける秋風にくれなゐの粥たてまつるべし  (歌人)
秋夜寶石店出て母の咳(しはぶ)くは洪水のさきぶれのごとしも  (水銀傳説)
ルイス・キャロルありのすさびの薬瓶割れて虹たつなり夢の秋  (されど遊星)

近江八幡で。
1-LR5__RD21349-5.jpg

1-LR5__EE99451-7.jpg

先日、土門拳の露光時間30分のことを紹介しました。
かれが言いたかったことを、
染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』から。

被写体に刻まれた「時」(染谷 學)
機事あれば機心あり
 『荘子』に「機械あれば必ず機事あり、機事あれば必ず機心あり」と
 「機械を持てば機械による仕事が必ず出てくる。機械を用いる仕事が出てくると、機械にとらわれる心が起きる。機械にとらわれると真心がなくなる。真心のないところに『道』は成り立たない。『はねつるベ』を知らないわけじゃない。恥ずかしいから使わない」

被写体と向き合う気持ち
 私が大切にしたいのは・・・写される被写体がその内測に持っている時間。被写体に刻まれた「時」なのです。
 写真はシャッターを切っている瞬間だけが写るものではありません。写されてある瞬間の前後まで感じさせるのが良い写真
 被写体が過ごしてきた時間までも感じさせてくれる写真には特に魅力を感じます。
 デジタルの時代になって、高感度・手ブレ防止・PC調整が可能という状況のなかで、払たちに「機心」は起きていないでしょうか。
 被写体と向き合う大切な気持ちまで失ってはいないでしょうか。
 撮影する私たちが「道」を失わないようにしなければいけないという自戒をこめて記します。


草雲雀

塚本邦雄
敗れ果ててなほひたすらに生くる身のかなしみを刺す夕草雲雀(ゆふくさひばり)  (初學歴然)

くさひばりは、学名Paratrigonidium bifasciatumというコオロギの一種だそうです。
近江八幡で。
1-LR5__RD21359-5.jpg

なに信じ合うほほえみ

塚本邦雄
市民廣場に秋の熱風ちぢれ毛の犬が花輪を受くえらばれて  (靑き菊の主題)
ダリア刈つてあからさまなる庭の秋永福門院の家集つたはらず  (風雅)
人間(ひと)が人間(ひと)の何信じあふ微笑(ほほゑみ)か 綱ほつれ遊動圓木ゆがむ  (日本人靈歌)

近江八幡。
1-LR5__RD21375-5.jpg

2-LR5__RD21384-5.jpg

勝手に持ち出した昔の雑誌。
女性誌もありました。
「それいゆ」1958年2月号。「男性研究」特集だそうです。

ノスタルジアもありますが、
ライフ誌にならったフォト・ストーリーが毎号おもしろいので残してきました。

きょうは「ノスタジア」に傾いて、私の世代のスーパースターを。
1-2014_10_21-002.jpg
2-2014_10_21-003.jpg
3-soreiyu_0004.jpg

十月のひるのねむり

塚本邦雄
十月の空群青(ぐんじやう)に最終(さいはて)の朝餐(てうさん)として醋(す)の皿ありき  (星餐図)
人は妬みに生くるものから 十月のひるのねむりに顕(た)つ靑石榴  ( 〃 )
蝕甚の月をのぞむとわかものは指組む肉のその遠眼鏡  ( 〃 )

近江八幡。
1-LR5__RD21590-5.jpg

2-LR5__RD21588-5.jpg

勝手に持ち出した昔の雑誌から、サンケイカメラ1959年6月号。
土門の口絵写真がありました。本人の解説も載ってます。
1-2014_10_21.jpg
2-sankei_0001.jpg

露光時間30分だそうです。
もっとも、私が興味を持ったのは、この雑誌をくるんでいたカバーに使われていたカレンダーでした。
3-2014_10_21-001.jpg

染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』から、

フィルムカメラに学ぶ(大西みつぐ)
片手をスッと延ばし携帯を構え、撮影を完了させ、どのように撮れたかを「確認」
この一連の流れは、なにも携帯電話にだけに見込れる光景ではなく、デジタルカメラ一般の撮影風景です。
フィルムカメラでは残念ながら、その「確かに」という断定が得られないまま撮影を続けなくてはなりません。
未練を残しつつ次なる場面に向かいます。・・・次に期待し撮影を続けていきます。フィルムがもたらす写真への欲望のひとつは実はそんなところにあります。
デジタルカメラは、そのあたりの妙に粘っこい部分をすべてそぎ落として、「はいこれ! 一上がり!」というように私たちに画像を提示します。
しかし、その時点で写真が「達成」してしまうということではなく、写真として自律してくるのはまだ先のことなのだと考えるべきでしょう。

(実はわたしはデジタルを使っていても撮影途中で画像の確認はしません。リズムや高揚感がこわれるのを恐れて。結果を見て後悔ばかりしていますが)


はるかなるかな殃(わざわい)

塚本邦雄
月は朝(あした)、花は黄昏(くわうこん)うすなさけこそ片戀の至極とおもへ  (風雅黙示録)
おとろへて坐す黄昏(くわうこん)をコルシカの戀唄赤き針零(ふ)るごとし  (水銀傳説)
秋風を踏みつつあゆむ たとへば今日愛國者とはいかなる化物  (汨羅變)
はるかなるかな殃(わざはひ)一つひとづまの柑子噛みたる黄丹(わうたん)の口  (感幻樂)

近江八幡。
1-LR5__RD21613-5.jpg

近江八幡で菓子舗「たねや」のPR誌をもらってきました。
記事や写真に惹かれたからですが、
川内倫子の写真が載っていることに驚きました。
その写真に、さすがだなあ、と。
1-2014_10_20.jpg
2-kawauti.jpg

ファイニンガーも西井一夫も染谷學も築地仁も大西みつぐも、
技術の先にあるものこそが写真にとって大切といっています。
私でも撮れる場所で撮れるものを撮っているけど、私が撮ればどこにでもあるつまらない写真になるのが、自分で分かるのがかなしい。
「たねや」の川内倫子の写真は、彼女以外の誰にも撮れない。
たまたま1974年当時のマミヤのサークル誌がでてきて、そこに出ているフォトコンテストの写真が、
(私よりずっと上手なのですが、)
現在のコンテストで見られる写真と変わらないことへ驚き、
失望して、うんざりしていたときだったので、一層鮮烈でした。
3-LR5_2014_10_20-001-5.jpg
4-LR5_2014_10_20-002-5.jpg
以前、マイケル・ケンナの写真展でも同じように打ちのめされたことがありました。
染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』のつづきから、

モノと場所(大西みつぐ)
「質感」の先にあるもの
 写真で「質感」が再現できると、モノのもっている手触り感が私たちの経験に応じて写真から伝わってきます。しかし、ここでもうひとつ問題も生じます。そのモノが含まれていた周囲はどうだったのか、モノと周囲はいかにつながり、そこは「場所」としてどのように成り立っていたのかということです。
モノと場所の関係は空間として立ち現れてくる
 大事なことは、とりあえず配置といいますか関係そのものをしっかり撮っています。広角レンズ損影のため歪みがないように垂直線に注意しつつ、縦位置にしてフレームが決定されたのです。つまりこのモノが含まれる空間として意識したということです。逆に考えれば、モノと場所の関孫は空間として立ち現れてくるともいえる
 モノばかりしか見えないということだと、ちょっと退屈な写真になってしまうこともある
 写真空間の発見というところに写真表現の面白さもあり、私たちの視覚を自由に拡大してくれるものなのかもしれません。


写真の物語性について(大西みつぐ)
予定調和を表明しているだけでは面白くない
 写真コンテストの審査をしていますと、まさに「決定的瞬間」といったスナップショットに出会うことがあります。・・・作者は物語を感じシャッターを待ったともとれます。「待って撮る」ということ自体、特別に悪いこととは思えません。しかしそこに過剰な物語を思い浮かべた結果、その「思い」だけが一人歩き
 一枚の写真としてぜひともドラマチックな場面が欲しいのだという気持ちも分からなくはありませんが、たとえそれが実現したところで、「なんと間のいい写真なのか」という予定調和を表明しているだけ

誰にでもわかる物語はつまらない
 一枚の写真イメージは常に曖昧な物語をそれぞれ(写真を見る側)に強いるものですが、細かな「配感」によっては意図的な方向へとイメージを持っていけるということも事実なのです。それもまた一種の予定調和なのかもしれません。
 自分の撮ったこの写真を見ていきますと、はじめは面白いと思ったものの、その物語牲が濃厚であるがゆえにだんだんつまらなくなってきます。いわば見え見えの展開でしかないだろうということです。


あはあはと十月

塚本邦雄
一族郎党尋常一様の才有(も)ちてあはあはと十月の男郎花(をとこへし)  (風雅)
こころざし今ぞやつるる晩秋のわがやかた鮮黄にともれり  (歌人)

近江八幡。
2-LR5__EE99667-5.jpg

1-LR5__EE99650-5.jpg

3-LR5__EE99656-5.jpg

昨日、奈良原一高の名前が出たので、そのつながり。
昭和32年5月の別冊アトリエ「新しい写真」から。
25才の奈良原一高、35才の石元泰博の写真がありました。どちらいかにも彼らの写真と分かるところがすごいです。

1-atorie_0006-001.jpg
2-2014_10_19-002 (2)
3-2014_10_19-001.jpg
4-2014_10_19-003.jpg

一方で、この人はハリー・キャラハンやエドワード・ウェストンの剽窃。
どのような個性だったのでしょうか。

5-2014_10_19.jpg

零落の明るき

塚本邦雄
零落の何ぞあかるき神無月切子の鉢に蝦蛄(しやこ)ねむるなり  (歌人)
満月は熟れつつ 賜へわが領に鳥目繪(とりめゑ)の斑(ふ)の吐噶喇列島(とかられつたう)  (蒼鬱境)
魚を塩に埋めてしづかに悪疫を待つこころ 許嫁者(いひなづけ)らに秋来る  (緑色研究)

近江八幡。
1-LR5__RD21516-5.jpg

2-LR5__RD21415-3.jpg

3-LR5__RD21478-5.jpg

まえに西井一夫の文を引用した「写真装置 #12 1986/1/10」の冒頭は42人の写真家へのインタビューでした。
いまも、そしてこれからも残る人もおれば、もう消えていった人もいる42人ですが、私の気になる人を5人選んで。
1985年末のインタビューです。

奈良原一高
 現在、そしてこれからの写真の方向とでは2極をめざして走り、その両極の複合した、重層した世界に住みたいと思っています。
 そのひとつは〈ナイーヴ・フォト〉もしくは〈イノセント・フォト〉といえそうな、写真の初源的な感動の流れに身を浮かべた世界で、光の音楽を感じたいと思います。いまひとつはアナログ的な円思考感覚にデジタル的な線思考感覚を交差させた〈デジ・アナ・フォト〉の世界を構築してみたいと思っています。


細江英公
 はっきり言って今や写真の時代はきわめて保守的です。たしかに写真は氾濫していますが、「今日を打ちのめす武器」としての写真は見当たりません。すべての芸術は、今日を破壊して明日を創る」ための強力な主張がなければなりませんが、どれほどの新鮮な提案もすぐに巨大な時代のルツボの中にのみこまれてしまい、何か明日をめざす光明が見出せないようです。日本の写真の特長ともいえる「情緒性」「私小説的」世界の追求だけでは今日をとりまく状況を突き抜けることはできなのではないでしょうか。
以上のような認識の上に立って、私は取敢えず今追求している「ガウディ」を更に深く突っ込んで行きたいと考えています。そして次は私の住んでいる「東京」を撮るつもりです。


深瀬昌久
 ぼうっとしたピンポケさかげんをいくらかも甘酢っぱい倦怠と悔恨で、うつらうつら居眠りしながら楽しんでるが現状かも知れない。明けても暮れても写真シャシンで餓鬼みたいなもんだった。ぼくは鬼になんかなりたくないが猫になりたい。死にたくもないがたいして長生きをしたくもない。
 先日山形県酒田市でロケで暇ができたので土門拳記念館に行ってみた。「古寺巡礼」展示中でにぎわっていた。堂々たる記念館での堂々たる写真群はデカかったせいもあるが、正義と理想に燃える赤マントのスーパーマンを絵にかいたような完璧さで圧倒された。だがぼくは完璧な写真なんか撮りたいと思わない。土門拳は鬼(多分赤鬼〉だがぼくは猫であることを認識したのだった。猫はホコリのたまった薄暗い隙間や隅っこが生来好なのである。猫よりも鬼はたしかに偉い、というのは猫の寿命はたった十五年位だが鬼の寿命は誰も知らないという。


森山大道
 たとえば、今日これから、あるいは、明日陽が昇ってかち、ひょっとすれば写るかもしれない、もしかしたら見えるかもしれない、たった一枚の、来るべきイメージのために、ひたすら自身にのみ向けて、日頃、撮りつないでいるような気がします。いま撮ることの意味も、これから撮りつづけるだろう理由も、ただ、これだけのことだと思っています。では、なにを写したいのか、どう見たいのかは、いっさい具体的ではありません。ただ、澄んで、止って、透明な、一枚のイメージのみが、空に、心に、あるばかりです。いわゆる、主題とか、展望とか、といったものは、いまのぼくには全くありません。撮る。見る。という永遠の循環があるのみです。

川田喜久治
 それほど写真が新しい考え方を導き出そうとはしていませんし、写真家もそうは思っていません。
ただすぐれた東西の思想家たちが、いま写真についての評論や物語りのたぐいのものを書いていますが、時代的な欲求の一部に無意識にも重なっていると感じます。
 しかし一枚の写真を写真家に撮らせることには役立っているとは思われませんが、それについて関心を捨ててしまうとどうなるかは自明のはずです。異質の想像力からイリュージョンを手に入れることはやはり必要でしょう。
 パラドックスという扉のなかでは、写真がいまにも反乱を起こしそうです。もう写真家は写真を語ってはいけない。写真の秘密にこの時代相当に迫られているので。


かつて心封じ

塚本邦雄
月蝕の月ぞしたたるリップ・ヴァン・ウィンクルの愛犬の名「狼(ウルフ)」  (歌人)
おとうとの咎うつくしや秋風のかたちのたましひとおもへども  (風雅)
ああかつて心封じし母のごとく月は扉(と)のうらがはまで照らす  (星餐図)

近江八幡。
1-LR5__RD21468-3.jpg

昭和32年12月の「別冊アトリエ」。親の持ち物だったのを譲り受けた(勝手に持ち出した)しろもの。
ニコンSPのポスターをデザインする亀倉雄策が紹介されていました。
あこがれのSP。とうとう手が届かなかったSPをなつかしんで。

1-2014_10_17.jpg
2-2014_10_17-001.jpg
3-atorie_0004.jpg

橙黄の

塚本邦雄
あをあをとすこしおもたく父の生ありき 劉生の絵に秋風  (歌人)
秋風(しうふう)珠のごとしといへど心中に劉生の絵のゆがめる美少女  (豹変)
水の上に橙黄(たうくわう)の月のぼらむとあやふし わがおとうとなる耶蘇(イエス)  (感幻樂)

近江八幡。
1-LR5__RD21581-5.jpg

2-LR5__EE99647-5.jpg

3-LR5__RD21570-5.jpg

「ファイニンガーの完全なる写真」からさらに。
引用するのは、本書の最終章「良い作品を作るには」の最後の節、「良い、悪いを決めるもの」から。

3-souchi_0004.jpg

意味
 良い作品をつくるには、見る人の目をとらえるほかに、興味をいだかせなければならない。言いかえれば、意味を持ったものでなければならない
 プロ写撮った作品の意味は、非営に明瞭なのが普通である。
 ところが大抵のアマチュア作品は、自分だけの記録というワクにはまってしまい、それ以上の意味がない。
 アマチュアの作品には全然意味のないものもある。たとえば岸壁に放り出された輸になったロープ、顔や体の一部をかくそうとして妙に体をくねらせたヌード、ひげ面の青い目をしたルンペン(青い自は黒い自よりも写真効果が良いというつもりなのか〉、十字架を持って合掌する老女、開いた書物の上に置かれたメガネ(バックにロウソクが見える〉、目の荒い麻布を巻いた修道士ふうの男、リンゴをかじるソバカスだらけの坊や、アルミの皿と花びんで構成された静物・・・などの無用な常套手段を使った意味のない作品を見ると、作者はいったい何を考えているのかがさっぱりわからない。
 このような写真へのアプローチはどうしようもないほどムダなアプローチであり、その心構えは小規模ながらも独自の考えが全くないことを露呈している。こうした傾向は当節の大衆にもよく見かけることであって、ニュースを編集したり、よく“消化”したうえで特定の興味に合うようにそれをゆがめ、威信をもって読者や聴視者に結える新聞のコラムニストやラジオ、テレピのニュース解説者から、既製の見解をそのまま受入れている。しかもこれらの読者や聴規者は、コラムニストやニュース解読者のほうが専門家なのだからという確信の下に自分自身の意見を持とうとはせず、他人の見解を正しいものとして受売りしているうちに、いつしかそれが自分の考えの結果であるかのように信じ込んでしまうのだ。
 あなたが自分の個人的見解を写真形式で表現する絶対の権利を放棄しない限り、またあなたがなぜ放棄しないかの自覚を失わない限り、さらにあなたの作品が信念の所産である限り、何を撮影しようと、どう撮影しようと問題ではない。


インパクト
 私にとっては、インパクトを生む第一要件は誠実さにある、ということになる。
 私がこれまでに見た作品の中で最も感動を覚えたものは、粒子の荒れ、不鮮鋭、あるいは画像のブレといった技術的には不完全な作品が多かった。このような不完全さは作品の価値を減じるどころか、実際には誠実さと現実感を高め、創造的表現の手段にすらなっていた。
 不完全な作品のほうがインパクトが強いという事実は、写真作品の真価を決定する基準が技術的完全さだけにあるのではないという証拠にもなる。


グラフィックな面白さ
 写真作品をつくるうえで、人に教えることができるのは写真技術の面だけである。そんなわけで、はんらんする写真書や雑誌記事のテーマは皆この写真技術になっている
 だから技術が写真のすべてであるかのような印象を与え、技術以外の手段が持つ重要性を陰の薄いものにしてしまっている。その結果、作品はしばしばそれが持つ意味や内容を基準に判断されないで、技術的な優秀さのみで判断されるきらいがある。
 もしも最も今日的な表現形式が自分の目的にかなうと信じたら、勇気をもってそれを実行すべきである。もしそれが、目的に十分そわないと思ったら、より良い表現形式を自分で開発すべきである。


いつかまた

塚本邦雄
ただの恋、愛に似ることあまたたびそよ累卵のうち点燈(とも)る秋  (豹変)
思ひいづるおほかたは死者篠原に野分(のわき)いたりてしまらく遊ぶ  (歌人)
野分合歓(がふくわ)の林を過ぎつ 卓上の伝言筆太に「いつかまた」  ( 〃 )

近江八幡。
1-LR5__EE99642-5.jpg

2-LR5__EE99640-5.jpg

3-LR5__RD21604-5.jpg

カメラ毎日つながりで、昭和44年の別冊より。
一眼レフ時代に入りつつあったころでさえすでに古くさいところがありましたが、技術的に広範で、アメリカ製のカメラのように初心も高度も押さえた内容でした。
基本の「き」、写真の本質を教えてもらいました。

1-kanzennaru shashin-001
ファイニンガーの「完全なる写真」 坂本登訳(昭和44年3月15日発行)

なぜ写真を撮りたいか
 それは、自分の仕事の記録として撮る必要があるからなのか・・・他人に知らせ、教育したいからなのか・・・自分だけの楽しみで撮りたいのか・・・自分の感情やアイデアを表現する欲求にかられたからなのか、写真を趣味としてやっていきたいのか、職業としてやっていきたいのか、別の仕事の補助手段としてやりたいのか、自己表現の一手段としてやりたいのか。
 こうした質問に正直に答えてみることは、写真家としての将来にとって大切な基礎となるのである。

趣味としての写真
 もし写真が趣味であるなら、あなたはアマチュアである。それが好きだから何かをするという人、言いかえれば、自分の楽しみのために何かをする人 - これがアマチュアの定義である。もしアマチュアとして成功したいと思ったら、自分の仕事にプライドを持ち、その仕事をすることに自尊心と満足惑を覚えなければならない。このような望ましい状態に達する唯一の方法は、独創的な仕事をすることである。
 アマチュアであるあなたは、アマチュアなるがゆえになんでも好きなことができるという、他の写真家には見られない利点を持っている。頭をおさえる者は一人もいない。こうしろ、ああせいと命じる者もいない。写真家としてこれほどの幸福はないはずである。
 ところが不幸にして、これとはおよそほど遠いのが現実である。というのは、こうしたユニークな立場を理解し、それを利用しようとするアマチュアがきわめて少ないことである。大抵のアマチュアは目的も目標も持たず、優柔不断にできている。だから方向が定まらない。その欠陥を補うために、何か良い手引きとなるものはないかと必死に捜し求める。そして、とどのつまりは、ほかの人にもうまくいったのだから自分にもうまくいくだろう、いやもっとうまくいくかもしれないといった考えから、他人の作品の模倣に陥っていく。こんな姿勢で写真を撮り、作品を競い合う習慣が身についてしまうと、お互いに相手をほめ合う写真クラブの一員になったということで満足し、ひとかどの価値ある写真家になれるチャンスをついにあきらめてしまう。
(中略)
 あなたは、あなた。自分というものを見失わないこと、自分自身であることに誇りを持つことである。


あきかぜの

塚本邦雄
あきかぜの布施衣摺町(ふせきずりちやう)いもうとが隙だらけの少林寺拳法  (豹変)
処世なほふつつかにして秋風邪(あきかぜ)の汗ふつふつと刈るやユーカリ  (歌人)

近江八幡。
1-LR5__EE99589-5.jpg

2-LR5__EE99632-5.jpg

3-LR5__EE99628-5.jpg

4-LR5__RD21489-5.jpg

人より天に

塚本邦雄
馬は人より天にしたがひ十月のはがねのかをりする風の中  (睡唱群島)
秋の鮎咽喉こゆるときうつしみのただ一ところあかるきはざま  (森曜集)
鬱病のはてのくちなし月暈(つきかさ)の色われは恢復を冀(ねが)はず  (星餐図)

近江八幡。
1-LR5__EE99501-3.jpg

2-LR5__RD21414-3.jpg

4-LR5__RD21450-3.jpg

3-LR5_ED201437-3.jpg

昨日、カメラ毎日の廃刊にふれたので、廃刊時の編集長だった西井一夫の文を。

『写真よさようなら 義によって立ち止まる 西井一夫』より
(雑誌「写真装置 #12」 1986/1/10 特集 写真の現在)

 写真を趣味とするアマチュア写真家こそ写真の本流なのだが、残念ながら写真を商売とするプロ写真家の予備役としての似而非アマチュアが日本の写真の社会の主流を形成している。
 写真を趣味とするには、何よりもまず“義”が必要である。義によって助太刀する、という時の義である。仁義とか恩義、信義、正義とかの限定される意味を上にかぶる以前の裸のままの義のことである。
 義というのはあくまで個人的なところから発しながら、それが他人を納得させる道理的なところを持っている場合に生ずる。そういう義を負っているところでは、関係性はいつもダイレクトであって、写真を撮るために他人との関係を利用するなどということは起こらない。
 対象との関係の内にまず義があるから、写真こそ手段となる。


廃刊から一年たっていないときの文で、カメラ誌編集を経験した者の熱さを感じる言葉があふれています。
上記の前にはもっと過激に書いています。

 カメラ雑誌に写真を「発表」することなぞをまず辞めなくてはいけない。
 カメラ雑誌など商品テスト以上の存在理由はなくなった
 (カメラ雑誌のコンテストには)八百長的友情に満ちたもの言いも昔ながらにあふれでいる。
 評価されたくて仕様のないホメラレ乞食たち、愛しくもいじましい競争的自己顕示欲のかたまり、エセ表現者たち
 この人たちは何を写すか、ということより、いかに写すかということが常に一番先にくる、つまり存在よりも存在形式の方が大切な技巧の人である。
 大半のアマチュアの写真行為は趣味の表向きをしているがそうではない
 趣味は、人にホメられたり、評価されるためになされるものではない。
 趣味には本来競争主義的意識はない。競争は社会が強いるものであるけれど、趣味は個人的な自己抑制から発する。
 他から強制されることなく、自らに強いることで持続するものが趣味
 続けていく意識のようなものを自分なりに発見し、それによって自身を律していくことなしに趣味は行為とならない。
 趣味は本来何かとの格闘
 格闘の勝負については測るのではなく認識し判断するのである。認識と判断は仕事以上に厳密な自己抑制を要請するものだ。

アマチュアを批判しているのではなく、カメラ雑誌とそれをとりまく日本の写真界への物言いです。
やや長い文の最後は次のように結ばれています。

 確かなる敬意に値するものの前でひとつひとつ立ち止まり、そこからいつでもはじめ直そう、私はそう思っている。


老いて秋 ~ヴォーリズ・メモリアル (3)

塚本邦雄
老いて秋のローンテニスのにしひがし腋の葎(むぐら)の露のゆふぐれ  (森曜集)
山水圖(さんすい)の空に微熱の月うるむ或(ある)はあやまてりしわが詩歌  (されど遊星)
詩歌變ともいふべき豫感夜の秋の水中(すいちゆう)に水奔るを視たり  (詩歌變)

近江八幡。近江兄弟社学園教育会館・ハイド記念館。
1-LR5__EE99491-3.jpg

2-LR5__EE99516-3.jpg

3-LR5__EE99555-3.jpg

もうカメラ毎日はなくなったけれど、むかしはアサヒカメラと双璧でした。
廃刊になる直前は芸術的だけど過激なヌード写真を搭載して、さいごの花火という印象。
カメラのレビューや写真のテクニックについては、ライバル誌よりも現代的で進歩的な内容だったように思います。
1-mainichi.jpg
2-mainichi_0002.jpg
3-mainichi_0003.jpg
4-2014_10_12-001.jpg

朱を溶く ~ヴォーリズ・メモリアル (2)

塚本邦雄
鶏頭描くに皿一枚の朱を溶けり突然に孤立無援のわれ  (詩魂玲瓏)

近江八幡。近江兄弟社学園教育会館・ハイド記念館。
1-LR5__EE99482-3.jpg

2-LR5__EE99446-3.jpg

3-LR5__EE99524-3.jpg

4-LR5__EE99542-3.jpg

身辺整理とは整理整頓をしてこなかったのと同義だと気がつき始めた昨今、
今日も昔の出版物を見つけて、作業が止まってしまいました。
1970年、75年、77年の日本カメラショーのカタログ。
とびとびにしかない処が、不精の証明です。
1-camera_0006.jpg
2-camera_0007.jpg
3-2014_10_11.jpg
4-camera.jpg
5-camera_0002.jpg
6-cm_0002.jpg
7-camera_0003.jpg
8-camera_0004.jpg
9-cm_0003.jpg

聖神無月 ~ヴォーリズ・メモリアル

塚本邦雄
絶交の聖神無月 離(さか)りゆく肉日蝕のにほひをのこす  (星餐図)
紺青の絵具罌粟油(けしゆ)に溶くわれは僕(しもべ) 月光のみだるること  ( 〃 )
なかんづく父は濃き夕映に生きなみだとはるるまで水の秋  ( 〃 )

近江八幡。ハイド記念館・近江兄弟社学園で。
1-LR5__EE99508-3.jpg

2-LR5__EE99534-3.jpg

染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』のつづきから

作品ではなく写真を撮る(染谷學)
意識に色付けされる前の世界をとらえる
写真は現実の複写でありながら、いざ一枚のプワントとして映しだされた世界は現実とは違った別の世界でありうる
日常の意識が見ている世界に、カメラという道具でちょっとした亀裂をいれてやる。私は写真を撮るという行為はそのようなことだと考えています
「被写体を一義的な意味にはめ込むこと」「安易に自分を表現した気になること」「形や色などの造形だけで写真を作ること」「決まりきったシャツターチャンスに縛られること」「型にはまったお手本の再生産を繰ち返すこと」、どれも本来写真がもっているはずの可能牲を狭めるものでしかない
私たちは作品ではなく写真を撮る必要がある
写真は、私たちが世界と出会い、世界と繋がる大切な手段なのです。


観光地やイベントで撮影する時いつも、記念写真、絵葉書写真、標本写真に終わっていないか気になります。
たとえば、広角で見上げて全体を撮ろうというアングルの、説明的な写真を撮ってしまう。
それは写真の「記録性」は十分に満たしているけど、標本写真であって、コレクションをしているだけ。
『意識に色付けされる前の世界をとらえる』のは難しい。
記念写真や標本写真を撮っていても、写真としての普遍性を写している一部の写真家たちの才能には、激しく嫉妬し羨望します。

零落がはじまる

塚本邦雄
赤くして黒き鶏頭 われの死ののちもわが耳つめたくひらく  (日本人靈歌)
鳥兜青きはまれる神無月おもへれば死ののちもとこしへ  (花劇)
衄血(はなぢ)あざやかなりける今朝や神無月言の葉の零落がはじまる  ( 〃 )

近江八幡で。
1-LR5__RD21508-3.jpg

2-LR5__EE99645-3.jpg

3-LR5__RD21525-3.jpg

ウィリアム・M・ヴォーリズ没後50年を記念して特別展、特別公開が行われている近江八幡。
でも、きょうの写真はそれとは無関係に。
1-volies.jpg

秋ははや一滴の

塚本邦雄
かりそめに愛と言ひけむ秋ははや一滴の水額(ぬか)をつらぬく  (睡唱群島)
月光にわれの半身泡立ちてただよへり前後左右の深淵  (花劇)
月はのぼる紫紺の空に忘れねばわすれねばこそ思はずナチス  (されど遊星)
押入の床に月さし封筒のうらなる「鯖江第三十六聯隊」  (波瀾)

京都。
1-LR5__EE79354-6.jpg

2-LR5__RD21023-7.jpg

3-LR5__EE79390-7.jpg

われはまたおろかにひとり

塚本邦雄
われはまたおろかにひとり瞬きて秋茄子の色冱ゆるを見たり  (透明文法)
ライターもて紫陽花の屍(し)に火を放つ一度も死んだことなききみら  (水銀傳説)
颱風の眼のしづかなる緑地帯、そのなかに薔薇 棘らうしなひ  (水葬物語)

京都。
1-LR5__RD20988-7.jpg

2-LR5__RD21171-6.jpg

3-LR5__RD21025-7.jpg

十月の辞典に

塚本邦雄
女馭して美しかりしおほちちの遺影ほほゑみつつ神無月  (豹変)
高熱の昨日(きぞ)ゆめうつつ十月の辞典に豸偏(けものへん)こぞりたつ  (歌人)
ちりぢりに秋の蛍がにはたづみ越ゆ 旧姓は或は星崎  (睡唱群島)

京都芸術センター。旧明倫小学校。
1-LR5__EE79312-7.jpg

2-LR5__RD21208-3.jpg

3-LR5__RD21245-7.jpg

4-LR5__RD21250-3.jpg

5-LR5__RD21229-7.jpg

老いてはじめて

塚本邦雄
老いてはじめてうつくしき父秋風の吹きぬくる雪隠におもへば  (詩歌變)

京都芸術センター(元明倫小学校)で。
1-LR5__RD21206-5.jpg

1-LR5__RD21219-3.jpg

3-LR5__EE79254-5.jpg

1-LR5__EE79262-5.jpg

昭和6年(1931年)に当時最先端の鉄筋コンクリートに改修された明倫小学校校舎。設計した京都市営繕課には、武田吾一の弟子たちが多く所属していたということです。

こころなき絵に

塚本邦雄
こころなきわが絵の水にナザレ人(びと)イエス溺るる聖神無月  (されど遊星)

京都。
1-LR5__RD21126-5.jpg

2-LR5__RD21111-5.jpg

3-LR5__EE79221-5.jpg

4-LR5__EE79197-5.jpg

蒼しこの秋

塚本邦雄
めざむるはふたたびねむるさきぶれと蒼しこの秋のなごりの鱚(きす)  (靑き菊の主題)

京都文化博物館別館。
1-LR5__EE79034-5.jpg

右端に要らないものが写ってしまった。5、6枚撮ったけれど、どれも同じ失敗。
初心をおろそかにしていたかな、と反省。
最近、身辺整理していて出てきた昔のわたしのバイブルに、つぎのように書いてありました。

ファインダーをよく見て撮影する
精密な小型カメラには正確なファインダーがついている。ところがいざ引き伸ばしとなると、ファインダーというものがあったことなどはすっかり忘れ去ってしまい、上を切ったり左右を切ったりして念入りなトリミングをほどこし、写真を引き伸ばしによって少しでもカッコよくしようとする人が多い。(略)トリミングすることは正しい引き伸ばしの方法ではなくて邪道である。

もしトリミングによって撮影の時の直観が表現される場合があったとしても、それは撮影した時のファインダーの見方が悪く、撮影技術が下手であったことの証拠にすぎないし、撮影を失敗したこと、と同じとさえいってよい。

アンリ・カルティェ・プレッゾンの言葉に「私のよろこびは、きびしいコンポジションの中に主題を発見したときで、コンポジションは多くのデテールにより構成される。文家の書きすぎがいやらしくなるのと同様に、デテールの生かし方が大切になる。主題の発見は、すなわち直観によるのであり、写真は直観以外の何物からも生れない。」{アサヒカメラ66年1月号より〉とあるように、氏は撮影の瞬間に写真のすべてがきまると考えている。
そしてその引き伸ばし写真は、絶対にトリミングを行わない。もしわずかのトリミングでもしなければならないネガが出来た場合は失敗として扱ってしまう。


(中川一夫 「現像引伸ばしのうまくなる本」 朝日ソノラマ 昭和51年2月)
1-genzou hikinobashi

ブレッソンの撮った有名な雨上がりの「決定的瞬間」のトリミングは当時公開されておらず、ノートリミングを自分の行動スタイルにして今日にいたったのですから、この本は「バイブル」なのです。少しだけ続きを引用します。

氏の来日中にその撮影に時々同行したり、そのコンタクトプリントを見たり、一部の引き伸ばされた写真について意見を聞かれたりしたが、氏のコンタクトプリントによるネガの選択は厳密をきわめる。コンタクトプリントを再三繰り返してみてまず良さそうなものにはその画面の下の一辺に赤鉛筆で筋を引く。こんどは90度回転させて横方向から見る。それで気に入ればその一辺にも赤線を引く。180度回転して反対の横側からも検討して気に入ればまたその一辺に赤線を引くし、気に入らなければ引かない。さらに写真をさかさにしてながめて検討する。したがって氏のコンタクトプリントの中には、横に赤線のあるものや二辺だけ赤線の引かれているものなどがあり、完全に合格したものはその四辺が赤線でかこまれている。この選択方法にはトリミングなどは当然まったく考えられてはいない。シャッターを切る瞬間のファインダーの見方にすべてがかかっているのだ。

有りて無く無くて有り

塚本邦雄
血縁の何ぞさらさら麻の葉の夏蒲團秋風に晒して  (閑雅空間)
月明の白萩のみか有りて無く無くて有りうるものこそは「歌」  (詩魂玲瓏)

京都文化博物館別館。
設計は、東京駅と同じ辰野金吾だそうです。
1-LR5__RD21041-7.jpg

2-LR5__EE79018-5.jpg

3-LR5__EE79028-7.jpg

「十月」の十

塚本邦雄
「十月」の十の字怖(こは)し正餐の帆立貝(サン・ジヤツク)どこかまだなまのまま  (魔王)
父となりて父を憶へば麒麟手(きりんで)の鉢をあふるる十月の水  (天變の書)
未來と言へどただ老ゆるのみ十月の水に鐵片のごとき蝶  (豹変)

京都。
1-LR5__EE78999-7.jpg

2-LR5__EE79078-7.jpg

1-LR5__EE79073-7.jpg