たまゆら映る

塚本邦雄
あはれ知命の命知らざれば束の間の秋銀箔のごとく滿ちたり  (されど遊星)
荒淫のきのふや晝の電球にたまゆら映る遠き枯野が  (波瀾)

京都。
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レトロでモダンな京都 (2)

塚本邦雄
客死てふことば戀しき晩秋のうつしみはげによそのまれびと  (獻身)
生はたまゆらの宿りか一陣の秋風が銀桂林をつらぬく  (詩歌變)

京都。「紫織庵」で。
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レトロでモダンな京都 ~「紫織庵」の世界

塚本邦雄
秋扇(しうせん)の裏よりはらり散りきたるイエスの皮膚のごとき銀箔  (黄金律)
秋風のすみかの扇 曙は胸をゑぐると言ひしランボォ  (約翰傅偽書)
何に殉ぜむジュネ、ネロ、ロルカ、カリギュラと秋風潜る耳より鼻へ  (靑き菊の主題)
糶市(せりいち)に賣れのこるセロ軍歌弾くときも癡(おろ)かにすすり哭くため  (装飾樂句(カデンツア))

京都。
町家の着物美術館「紫織庵」で。
建物の洋館部分の設計は、先日(9月17日)行った名古屋の「文化のみち」・春田鉄次郎邸.と同じ、日本近代建築の父と呼ばれる武田五一だそうです。
10日ほどの間に、武田五一という名に二度も出会いました。
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今日は京で

塚本邦雄
歌は残り歌人ほろびてまたの世の秋冷銀砂敷きたるごとし  (不變律)
夜(よる)の朝顔見しはをととひうとまれて夏をはるべき暗きうつつを  (源氏五十四帖題詠)
われの輝くいづこを狙ひ荒淫の彼の手のわななける拳銃  (水銀伝説)

京都で。
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半翅目こほろぎもどき科

塚本邦雄
漆靑(しつせい)のかたびら透けて半翅目こほろぎもどき科の姊は堕つ  (感幻樂)

三重県いなべ市。
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染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』のつづきから

なぜ写真を撮るのか(染谷學)
 表現意図を言葉にしてみる
 「なぜ写真を撮るのか」と、つねに自分に問いかける必要がある
 「どんなときに」「どんなことが」ということを、言葉にして考えてみるということ
 必要なのは「写真の説明」ではなく「写真を選んだ考えや思い」なのです
 何を表現したいのかは必ず言葉によって自分の中で明確にされる
 人に語る必要はありません。自分だけに向けて、きちんと言葉にしてみましょう
 それがあなたの「表現意図」であり、そこに写真の方向性が一本されている
 どんな先生の作例よりも、自分の一枚の写真が必ず次の写真に導いてくれる
 「なぜ撮るのか」「どんなことを写し出したいか」を考えながら撮っていくことが「写真をする」ということ


同じようなことを以前にも聞いた気がする。馬の耳に念仏でした。

秋のここに

塚本邦雄
孔雀の屍(し)はこび去られし檻の秋のここに流さざりしわが血あり  (感幻樂)
あひよれる白孔雀二羽「珠衣(たまきぬ)のさゐさゐ沈む」てふ歌あはれ  (花劇)

三重県いなべ市。
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透きとおりて腐るまで

塚本邦雄
夕星色(ゆふづついろ)の葡萄わかちてわれら二人夫婦あるいは戦慄家族  (豹変)
秋風に雲母(きらら)のごときまじれるを言へりしがきのふはや不帰の客  (詩歌變)
死者なかんづくキャパに供ふる一塊の熟柿透きとほりて腐るまで  (緑色研究)

名古屋「文化のみち」。
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染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』のつづきから

森山大道写真展を見て(大西みつぐ)
 あくまで個人の出来事としての写真がこちらを強く刺激してくる
 それは「写真」そのものが持つ緊張感なのだと思います
 写真の持つ緊張感とは、例の「決定的瞬間」ということではない
 緊張して撮るという身構えの問題でもありません。
 撮り手の精神が、
 そこで、その場で、空間、時間、状況、出来事などに入り込む。
 被写体に吸い寄せられる
 簡単にいえば何かに「惑かれたように」という感覚
 それは森山作品を貫く強い意志とも思われます

わたしも自分の写真に、戦慄するほどの緊張感が欲しい。

ここ過ぎて煉獄の秋

塚本邦雄
九歳の恋こそ終れひとづまにみせばや一鉢を餞(おく)られて  (花劇)
自転車になびく長髪熾天使(してんし)らここ過ぎて煉獄の秋を指す  (星餐図)
まをとめの鈴蟲飼ふはひる月のひるがほの上(へ)にあるよりあはれ  (感幻樂)

名古屋「文化のみち」。
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染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』を読んで、思いついて、私の最初の写真の教科書を取り出してきました。

1968年12月発行の「美術手帳」写真特集。¥300。
もう綴り糸が切れてボロボロ。
16歳で買って、何度も何度も開いた本。
小さな写真が400枚以上あって、いつ見ても見あきることがなかった。
ひとつひとつの写真にはタイトル名も写真家名もつけずに、大きなテーマのもとに、
A5版の雑誌に、1ページ4~6枚の写真だけを並べてあります。
写真の教科書とはいうものの、撮影データはもちろん、技術的な話はいっさいなし。
エドワード・スタイケンが企画した展覧会「ザ・ファミリー・オブ・マン」のやり方で、現代的なテーマの誌上展をやっているような感じです。
今になってみると、「プロヴォーク」を始めたばかりの中平卓馬が出てくる座談会が面白い。まだ森山大道が参加していない時点での対話で、当時の空気のようなものを思い出します。
載っている写真にあこがれて、試行錯誤を繰り返しました。

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紅きさかまつげの曼珠沙華

塚本邦雄
いたみもて世界の外に佇(た)つわれと紅き逆睫毛(さかまつげ)の曼珠沙華  (感幻樂)

三重県いなべ市。
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染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』のつづきから

写真を「撮ること・つくること・見ること」の意味(築地仁)
 写真がこの世に出てから約10問年の問に、その表現と技法のほとんどは出つくした
 大切なことは、撮ることと同じぐらいに、つくること、見ることにウエート
 「つくること」は作品をものとしてどういうレベルに高め、つくるかという問題
 「見ること」は、まず自分の作品を何度も見、やりたかったことや写真意識を掘り下げていく。
 次に、歴史上の良い作品を見、 感覚を研ぎ澄ましていく
 写真の「撮ること・つくること・見ること」を意識し、かかわると新しい意識が生まれる


撮る事ばかりになっていないかと反省して。

殴りかへして秋風にいま

塚本邦雄
左右(さう)頬毆りかへして秋風にいま柑橘のごとかをる掌(て)ぞ  (閑雅空間)
戦争が廊下の奥に立つてゐたころのわすれがたみなに殺す  (魔王)

名古屋「文化のみち」。
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文化のみち橦木館(しゅもくかん)
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春田鉄次郎邸
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春田鉄次郎邸

われらはじめに

塚本邦雄
秋ふかきピエタに赤き罅(ひび)はしりあきらかに屍毒(プトマイン)もつイエス  (水銀傳説)
曼珠沙華われらはじめに視しものは言葉、こころを離(か)れなむことば  (天變の書)
曼珠沙華餘燼となりてしかもなほわが胸中の敵こそ、祖國  (汨羅變)

三重県いなべ市で。
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なかんづく萩

塚本邦雄
なかんづく萩散りみだるよその秋いまこゑ嗄(か)るるばかり汝が欲(ほ)し  (天變の書)

名古屋「文化のみち橦木館(しゅもくかん)」で。
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わが父は大正15年生まれ

塚本邦雄
走馬燈父がゑがくはまみどりの闇女童(めわらは)が警官を追う  (花劇)

名古屋「文化のみち」で。
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文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)

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文化のみち橦木館(しゅもくかん)

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文化のみち二葉館は、川上貞奴が大正時代に居住していた建物。文化のみち橦木館は、陶磁器商井元為三郎が大正末から昭和初期に建てた邸宅。いずれも名古屋市東区で、200mぐらいの間です。

貞やっこの家 ~旧川上貞奴邸

塚本邦雄
大正、藍の香していつくし若者が肩までたくしあげたる袖  (花劇)
若狭の實家より應(いら)へなしかぎろひの幽霊を飼ひはじめたるか  (不變律)

名古屋の「文化のみち」拠点施設になっている旧川上貞奴邸。
大正時代に女優第一号と言われた川上貞奴と、 電力王と称された福沢桃介が暮らした家。
むかし「二葉御殿」といわれた邸は、いま「文化のみち二葉館」という名で公開されています。
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こころに描く金泥の

塚本邦雄
曼珠沙華こころに描く金泥の雄蘂ひしめきあひつつ深夜  (汨羅變)

三重県いなべ市
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靉靆(あいたい)

塚本邦雄
ほとばしる愛のかなたに靉靆と菊の花瓣のうづの緩徐調(アダジオ)  (緑色研究)

三重県いなべ市
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靉靆 (広辞苑)
(1)雲の盛んなさま。
(2)気持や表情が暗いさま。また、曖昧ではっきりしないさま。
(3)老人の眼鏡のこと。
(4)【靉靆く】  たなびく

染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』  (日本写真企画)

塚本邦雄
眞空にさわだつ篝火をささへひとりありけり夜の曼珠沙華  (靑き菊の主題)
秋風のかすかなる毒くちびるにあり今日一日歌はずにすまば  (不變律)

今回の回顧趣味のきっかけはこの本でした。
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一部を抜粋すると、
風景写真のすすめ(染谷學)
 いま目にする風景写真のなかには、作者が真に自然を感じて撮られたとは思えないものが、少なからずあります。
 コンテストや写真雑誌に見る風景写真の多くが、風景ではなく「風景写真という写真」を撮ったものにしか見えない
 「風景写真」は自然を愛する人の撮るものから、上手にカメラを操る人の絵作りの競い合いへと変質していった
 なにか大切なものが抜け落ちてしまったかのようです。


犬・猫・子ども・花・祭り(染谷學)
 いつも通りの安心な写真
 写真学校の授業で、私に提出する写真では「犬・猫・子ども・花・祭ハソ」が撮ってはいけない被写体。
 「犬・猫・子ども・花・祭り」を禁じていたのは、これらが撮り易いものであるから
 「知っている意味の通り」に撮れることが「思い通りの写真が撮れる」ことだと思っている人も少なくありません。
 そのような写真は、わかりきっていることの意味をなぞり、イラスト化しているに過ぎないのではないでしょうか。
 それでは写真が固定化された意味を指し示す、単なるアイコンになってしまっている


あなたの写真はいまどこを走っていますか? (染谷學)
 写真史はカメラマンの地図
 みなさんはなんらかのお手本や指導にもとづいて撮影をされているはずですが、
 失礼ながら、多くの方が本物の地図を見ていないせいで、
 自分の写真が写真表現のなかでどんな場所(レベルではない)にあるのかを知らなすぎるようです。
 本物の地図とは、「本物の写真家とその作品たち」です。
 いま世にある写真は、必ず誰かの影響を受けたり、反発したりして生まれてきたもの
 実際にピアノのレッスンをしてくれる身近な先生も大切ですが、リストやショパンを知らずにピアニストになれる人もいない
 まずは日本の戦後から現代までの代表的写真家から見ていってください。


何故にあなたは被災地に行くのか? (大西みつぐ)
 個人的な望みで「柵」を乗り越えていいのか
 東日本大震災後、多くの写真家が被災地に入りました。
 報道畑の写真家はヘリコプターをチャーターして被災地に向かった
 注目されているある若手人気写真家は自分の写真賞授賞式よりも、被災地に救援物資を持って出かけることを優先させました。
 ある日、写真愛好家の方が、「私たちも被災地に入っていろいろ写真が撮りたいので、なんとかして欲しい」と
 その気持ちも分からなくはありません。しかし、なにか釈然としないものがあります。
 混乱し、困窮し、さらに原発の脅威のまっただ中において、個人的な望みである「被災地を被写体として帰りたい」ということで闇雲に「柵を乗り越える」というのは、正しいことなのか否か。
 自分はそこでなにができるのか


回顧趣味 (4)

塚本邦雄
秋風(しうふう)嶺(れい)よりの微風が遠からずわが晩年を通りすぎよう  (波瀾)

「現代写真のテクニック」などの技法書をたくさん読みましたが、問題がありました。
ハイキー、ローキー、クローズアップ、流し撮り、パンフォーカスなどなど、技術は知りましたが、いつしか、そのテクニックを使うために写真を撮っている自分がいました。

問題は、フィールドに立った時に、どう撮るかではなく、何をとるか、ということでした。
他人のマネをした、標本かコレクションの写真。
解決のヒントになったのが、荒木経惟の本でした。

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まだ若い荒木経惟に時代を感じます。
読んだ初めは、かれの言わんとすることが十分理解できなかったと思います。
しかし、ここには本質が語られている予感がありました。

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雑誌「太陽」で、「さっちん」(第1回太陽賞受賞)を見た記憶があったので、写真の違いに戸惑った覚えがあります。
今は亡き深瀬昌久が写っている写真を見ると、時間を感じます。
不真面目で、過激な言葉のうらに、写真を撮る意味が繰り返し述べられていました。

回顧趣味 (3)

塚本邦雄
裂かれし獨活(うど)のごとくわれ立つ 寫眞展、キャパの<倒れる兵士>の眞下  (日本人靈歌)

身辺整理の手を止めて。
「現代写真のテクニック」(児島昭雄著)は、はじめて買った(親に買ってもらった)写真の本。奥付に昭和42年5月5日第3刷発行とあり、そのあと時間をおかずに買ったはず。撮影技法の基本は繰り返し詠んだこの本でおぼえました。見開きで、大きな写真と技法の解説というレイアウトが、当時は斬新な印象でした。
しかし、問題がありました。
この本ではなく、自分の問題です。
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底なき秋の

塚本邦雄
鶏頭のごときその手を撃ちし刹那わがたましひの夏は死せり  (水銀傳説)
靑き菊の主題をおきて待つわれにかへり来よ海の底まで秋  (靑き菊の主題)
底なき秋のゆふべとおもふ飲みくだす冷水にたまゆらの菊の香  (不變律)

明治村
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ぢりぢりとちかづく

塚本邦雄
秋風(しうふう)に壓(お)さるる鐡扉(てつび)ぢりぢりと晩年の父がわれにちかづく  (魔王)
ながらふることの不思議を秋風のゆふぐれうろこぐもの逆鱗(げきりん)  (不變律)
秋昏るる静脈のあゐ 詩を視るは火を睹(み)るよりもおぼろなるかな  (感幻樂)

明治村 幸田露伴住宅
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わが領域に夏さりて

塚本邦雄
大正、藍の香していつくし若者が肩までたくしあげたる袖  (花劇)
洎夫藍(サフラン)擬(もど)き、不遇とは魔に遇はぬまま而立・不惑を過ぎたること  (汨羅變)
詩と死ひとしきわが領域に夏さりて木曜の森火曜の竈(かまど)  (水銀傳説)
葡萄は葡萄状鬼胎(ブラーゼン・モーレ)なしつつ皿を占むるこの夕食(ゆふげ)わが假死の夜のため  (日本人靈歌)

明治村 西園寺公望別邸「坐漁荘」
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はしきやし。ああ、なつかしい、いたわしい、いとおしい

塚本邦雄
死に絶えしうから數へて睡眠のはじめ明るき夏のふるさと  (驟雨修辭学)
四条畷なはてわづかにのこれるを突然はしきやし秋の蛇  (魔王)
死なば愛さむ父のひだり手注射器に一すぢの血のさかのぼるなり  (感幻樂)

明治村 西園寺公望別邸「坐漁荘」
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秋まひる

塚本邦雄
葛切舌の上にあれど無き秋まひる郵便配達は二度ベルを鳴らす  (詩歌變)
妻は鶴に還らざれどもゆふがほの枯れ枯れんしてうすずみの網  (されど遊星)
妻に言ひ寄る男かはゆし夜の鮠(はや)  (甘露)

明治村
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明治のにほひ

塚本邦雄
鶏頭百本群れゐるあたりおそろしき明治のにほひよどめるなり  (獻身)
卵管の径2ミクロンその中を潜つてミケランジェロも生れき  (約翰傅偽書)
冰上の錐揉(きりもみ)少女(をとめ)霧(きら)ひつつ縫合のあと見ゆるたましひ  (星餐図)
愛人の六腑薔薇色われ捨てて冰島に冰(ひ)を食みつつあれば  (天變の書)

明治村 芝川又右衛門邸
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すれちがう線につつまれて

塚本邦雄
夕空は處女懐胎の星けむり左右の肺の血のすれちがふ  (感幻樂)
君と浴みし森の夕日がやはらかく捕蟲網につつまれて忘られ  (水葬物語)
愛人の息はげしくて掌上(しやうじやう)の石榴の亀裂(クレヴァス)を深うせり  (詩歌變)

明治村 芝川又右衛門邸
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さらばみじかき夏の

塚本邦雄
さらばみじかき夏の光よ理髪師にわが禁欲の髪刈らすべく  (水銀傳説)
秋風(しうふう)に思い屈することあれど天(あめ)なるや若き麒麟の面(つら)  (天變の書)

明治村 CAFE
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群青の秋

塚本邦雄
知己を探さむと獣園にきたりけり秋の駱駝のさびしき笑ひ  (黄金律)
嗤(わら)つて破る艶書一通群青の秋はわがたましひを過ぎたり  (汨羅變)

明治村 SL
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鉄ひややか

塚本邦雄
ほほゑみてこの遊星の終末を見む漸弱音(モレンド)の秋ほととぎす  (されど遊星)
秋の焔の白き一滴 鐵棒の鐵ひややかに靑年を吊る  (靑き菊の主題)

明治村 鉄道寮新橋工場
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秋が来る

塚本邦雄
妻妾(さいせふ)に死水取らす栄耀はのぞまざるまま木賊(とくさ)に新芽  (黄金律)
海も葡萄も真青(まさを)に濡れて秋が来る老人のやうに坐つてゐるな  (透明文法)

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明治村 高田小熊写真館
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