むぎこがし舐め

散歩のついで、ではなく、写真が撮りたいから散歩しました。
散歩ですから家から5分くらいです。

ご近所の麦畑ふたたびです。
進化してない、というより退化している頭をレンズを変えることで補っています。(汗)

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olympus pen-f 5.8mm
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olympus e-m5mk2 17mm

 むぎこがし舐めゐるうからわが戀ふは夏山に目のごとく濡るる岩   (塚本邦雄:水銀傳説)


どこで読んだのか忘れてしまいましたが、これかも知れませんけど少し違うような気もしますけれど、武田泰淳の散歩のことが印象に残って、引きこもり中のpithecantroupusも外へ出たのです。

 地球上には、安全を保証された散歩など、どこにもない。ただ、安全そうな場所へ、安全らしき場所からふらふらと足を運ぶにすぎない。(武田泰淳『目まいのする散歩』より)

上の手や

つまらない写真、われながら。

借りている写真雑誌の今月号に、
 上達する人=個性的に撮りたい、自由に撮りたい、他人と同じじゃつまんない
 上達しない人=固定観念に縛られている、他人と同じがうれしい、真似が上達と思っている

pithecantroupusは完全に上のタイプです。
なのに結果に差がないのはカメラのせいに違いない。絶対に。(笑)

そうしたら同じ本の別のページに、何かのせいにする、カメラのせいにする、被写体のせいにする=上達しない人、と書いてありました。(涙)
ことしは上達をあきらめて「好きなる」を目指しています。

公園の一枚。
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olympus e-m5mk3 60mm

手入れのない庭。
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olympus e-m5mk2 60mm macro

 薔薇一枝逆手にしごき血みどろの兄上の手やかがやきにける   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

五月過ぎつつ遁げまわる

今回の自粛や休校に対して無料サービスを期間限定でしてくれているサイトがあって、おかげで宮部みゆき湊かなえの短編をタダで読ませてもらってます。

また公園とかの島にもどって。
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olympus e-m5mk3 60mm
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olympus e-m5mk3 60mm

追憶の神島も。
つぎの一枚目はまえにブログへあげたかもしれません。
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olympus e-p1
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olympus e-300


ネットでタダ読みだけでなく、pithecantroupusは他人の本を借りてまでタダ読みしています。
そんな雑誌GQジャパン最新号の表紙はリリー・フランキーの自筆の「ラブレター」でした。

 あなたは無事でいるでしょうか?
 日頃から、臆病なあなたのことだから、
 日々、心震わせていることでしょう。・・・(略)

 日毎、恐怖や憤り、呆れに希望が混濁して
 訪れてくるけれど、未来はあなたの瞳に
 どう映っているでしょう。

「私たちは、どう生きるか」というメイン・テーマで編集された雑誌の編集長の巻頭文が気に入ったのですが、そちらは長文なので、表紙(の一部)でお茶を濁しました。(汗)


 平穏無事に五月過ぎつつ警官のフォークを遁げまはる貝柱   (塚本邦雄:日本人靈歌)

辞書から

もうすんでしまいましたが25日は広辞苑記念日だったそうです。
きょうは、広辞苑と公園で。

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olympus e-m5mk3 60mm

広辞苑は重いので、その編者新村出の私家集「重山集」とオリンパスEEDです。

国語辞典を使い始めたばかりの中学生の頃に、Aを引くとB、Bを引くとAと書いてある、
たとえば「右」を引くと「左の逆」、「左」を引くと「右の逆」と書いてある(循環定義というそうです)のを見て、
社会には本音と建前があるとはじめて知りました。

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sigma dp2q

 昆蟲は日日にことばや文字を知り辭書から花の名をつづりだす   (塚本邦雄:水葬物語)

その頃の無数

所用があって駅へよったら、京都、奈良、伊勢志摩などの観光ポスターが全部撤去されてました。
一方で駅なかコンビニが営業再開していました。それにご近所のドラッグストアへ行ったらマスクが買えました。

また公園、またあの島。
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olympus pen-f 17.5mm
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olympus pen-f 17.5mm


潮騒のクライマックスの監的哨です。2枚目は以前に同じ写真をあげているかもしれませんが。
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olympus e-500
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olympus e-p1


きのう引用した「隣人愛という概念は、改めて注目すべき」で福嶋は、

 コロナを文化史的な切断と考えるのは、おそらく過大評価だと思います。
 そもそも、現代のネットワーク社会では、人間はウイルス的な挙動に憧れていたわけですね。ウイルスのように「拡散」し「越境」することに価値を認めてきた。
 今回のパンデミックは表象的には貧しいものだと思います。

と指摘しています。アプレゲールなんてでてこないのですね。また、鋭くも、

 先日『ニューヨーク・タイムズ』で書いていた人がいたけれども(参照:Where Are the Photos of People Dying of Covid ?)、今回のコロナの報道では死者の映像はほとんど出てこない。我々が目にするのは空っぽになってしまった街の風景とか、ボール状のウイルスの画像とか、感染者数や死者数のグラフとか、そういうものですね。つまり、実際には悲惨なことが起こっているのに、妙にクリーニングされた表象がウイルスのように増えている。

 その一方、出来事の中心は空洞化したままです。たとえば、クルーズ船でウイルスがまん延した時も、クルーズ船の内部はろくに取材されなかったし、今もICUの状況をほとんど知ることができない。すでに3月に書いたことですが(参照:内なる敵と負の祝祭――震災とコロナウイルスのあいだで)、日本のマスメディアは「大本営発表」をやっているだけです。

とも。


季節が合っていませんが、
 大本營發表「連勝」その頃の無數の死者かこの寒鴉   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)