真冬の

塚本邦雄
母がつくる眞冬の麹茫茫と花さき娶りそこなふ長子   (日本人靈歌)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

東近江市政所。
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下は上とは違う。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 塚本邦雄は近江商人で有名な五箇荘の生まれですから自家製の味噌づくりなどを見ていたのかもしれません。
 「こうじ」が胞子をつけた様子を麹の花というそうですが、「麹花」(こうじばな)は春の七草の「ごぎょう」をさすハハコグサ(母子草)の別名だそうです。

 写真を縦位置で撮るか横位置で撮るか迷ってはその両方を撮ることを繰り返して、撮ったあとになっても縦か横かいつまでも決心がついていません。
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とおきところをみつめつつ

塚本邦雄
おそらくは危機にむかはむ あかときの汽車點燈(とも)り靑年の赤き舌   (日本人靈歌)
種馬がとほきところをみつめつつはりはりと冬の人參嚙める   ( 〃 )
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

東近江市政所。
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ぽろぽろ。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

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ぽかぽか。 TOKINA Reflex 300mm F6.3

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ほっ。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

 ブログのデザインを変えて写真を少し大きくしたと昨日かきましたが、”ipad”をつかっている知人に、「写真の大きさなんて指先で適当に拡大(ピンチアウト)すればいいだけ」と言われてガックリ。世はスマホ・タブレットの時代でした。

 先日も我が家のガラクタをひっくり返して1991年のコマーシャルフォトを見つけましたが、何故このときこれを買ったのだろうと開いたら、下のような記事がありました。使っているPCはマッキントッシュSEやPC9801でした。わたしの頭はこの時代からあまり進んでいないようです。
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にわかに止みし

塚本邦雄
酢蔵(すぐら)風花(かざはな)にはかにやみし催馬樂(さいばら)のをはりのこゑの死ねとひびきし   (感幻樂)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なお政所。
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ささやかなご馳走。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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家も老いるもの。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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ここに住みたい。 M.ZUIKO 25mm F1.2

立春の

塚本邦雄
立春の夜はうすずみの山川(やまがはわ)に酢の香走れりわがみどりごよ   (芒彩集)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

まだ政所(東近江市)。
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寒さゆるめば。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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そなえは十分。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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音もないところ。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 塚本邦雄には山川呉服店シリーズともいうべき一連の歌があるそうで、このブログで引用した歌にも、
  いふほどもなき夕映にあしひきの山川呉服店かがやきつ
  靑嵐ばさと商店街地圖に山川呉服店消し去らる
  あさもよし紀州新報第五面山川呉服店密葬
  先代の背後霊レジ引受けてブティック山川のみせびらき
  塋域に白雨 山川呉服店累代の墓碑何ぞしたたる
とまだまだあるのですが、きょうの「山川」は呉服店ではなさそうです。
 立春の夜と酢の香とみどりごがそれぞれ唐突で、イメージをつくることさえできませんが、
 春の夜 → 夜はうすずみ → うすずみの山川 → 山川に酢 → 酢の香 → 香走れり → 走れりわがみどりご
と連想ゲームにして区切りを入れるとかろうじてイメージをもてるような感じがします。それでもわたしには解釈不能なのですが。

の何たるかを

塚本邦雄
歌の何たるかを識らざれば風花の花をみづからの紋章とす   (詩魂玲瓏)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

政所(東近江市)。
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飛行機雲の下で。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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太郎を眠らせ。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 きょうの短歌をおさめた歌集が出版されたのは塚本邦雄が78歳のとき。すでに現代短歌の大家として世間も認めていたころです。そのかれが「歌の何たるかを識らざれば」などと何故いうのだろうと思いました。
 歌の作者を限るとか、知らざる者を塚本邦雄以外におくといった場面の限定をすれば解釈はできそうですが。

 わたしには、風花の花があの世とこの世をつなぐ手紙のように感じるのです。
 ちょうどこの時期に塚本邦雄は療養中だった妻を亡くしています。
 おのれの歌のこの先の到達する先を、共に見るつもりだったのではないか、と想像するのです。

断たむとしてみな愛す

塚本邦雄
二月の星わが額(ぬか)にあり一切のえにし斷たむとして皆愛す   (閑雅空間)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

雪撮りに、昨秋にいった政所(まんどころ)へも行きました。
紅葉が印象的だった山里ですが雪景色もまたよかったというのは、休日をつぶして雪下ろしや雪かきに励む人たちに対して失礼な、よそ者の気楽すぎるたわごとでしょうか。
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飛行機雲のしたで。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

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太郎を眠らせ。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 きょうの歌は226から欲と打算を消し去ったような、たとえば三島由紀夫の憂国をうしろ側から見ているようなイメージが浮かぶのですが、塚本邦雄の主義からは遠いイメージなので困っています。
 ただ、226は彼が16歳ぐらいのときでしたから、消しがたい何かの印象を心に刻んだとしても不思議ではないと感じます。わたしの父は彼より6つほど年下ですが、左翼シンパで軍歌など大嫌いだったはずなのに「昭和維新の歌」だけは好きだったように。

冬ふかく易易(いい)と

塚本邦雄
乾魚を酢にてもどせり冬ふかく聖書には易易(いい)と神の復活   (装飾樂句)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なおなおなお杠葉尾で。
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硝子戸のむこうは反世界か。 TOKINA Reflex 300mm F6.3

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ここはわたしの汨羅。 TOKINA Reflex 300mm F6.3

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枯れてもススキはススキ。 TOKINA Reflex 300mm F6.3

 酢にて「もどす」行為を「復活」させると言ったのでしょうか。でも「酢で」もどす乾魚は何なのでしょう。易という字を魚偏につけた「鯣」はスルメらしいのですが。

 きょうの新聞の記事に「歌が廃れる」という題字がでかでかとのってましたが、「廃れる」を「すたれる」と読める人しかこの大新聞は相手にしていないのかと少しがっかりし、せっかくの記事がだいなしだと感じました。

ふれあふひびき

塚本邦雄
きこゆるは風花(かざはな)のそのはなびらのふれあふひびき母には白壽   (黄金律)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なお杠葉尾。
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電柱も眠るか。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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洗いざるは黄色です。 TOKINA Reflex 300mm F6.3

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お社の鹿は青銅の。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 はやくも一月も終りです。一月の別名の睦月にちなんで、『驛長愕くなかれ睦月の無蓋貨車處女(をとめ)ひしめきはこはばるるとも』(詩歌變)を引用したかったのですが、既に引用済みでしたので、一昨日の母の歌つながりにしました。

 「駅長おどろくなかれ」は菅原道真の和歌を下敷きにしているそうですが、塚本邦雄の戦争詠の代表的作品とある本に解説されていました。しかし道真が己の身に起こっている現実を踏まえて歌っているように、それを下敷きにした塚本邦雄も、知識をもとにしたのではなく、何らかの現実を目にして歌ったのではないかと感じます。

 そして読者としては、彼の見た現実を穿鑿するのもいいでしょうが、自分が生きている時代の現実に引き寄せてイメージをつくっても作者に失礼にはならないと思っています。

 雪がふる季節に、屋根のない貨車に載せられている処女は、人間扱いをされていない、尊厳を踏みにじられた存在です。あえてアウシュビッツをもちださなくても、いまの世界にもそうした扱いを受けている人々がまだたくさんいる事実を指摘すべきだと感じます。難民を排除しようとか、さらに難民をつくろうとか、難民を固定化しようとかいった昨今の行為に対して、「駅長おどろくなかれ」という歌を引用したかったのです。

睡りたる寒き空と

塚本邦雄
睡りたる寒き空港と綠色(りよくしよく)の燈(ひ)もてつながる夜閒飛行機   (装飾樂句)
眼科醫、眼科醫と邂ひしかば空港のあかつきあかねさす水晶體   (水銀傳説)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なお杠葉尾。
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あれは金鵄かと。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

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青、ただの青。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

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三角はいさぎよい形。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

雪凍ててしづかにめぐり

塚本邦雄
母に未來無し 夕暮と雪凍ててしづかにめぐりやむ風見鶏   (装飾樂句)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

杠葉尾で。
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冬の光は母より来ると。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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離住(かれず)みに経たるいくとせ。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

 塚本邦雄の母は彼が22歳のときに54歳で亡くなったそうです。かれはその死に際して挽歌を百首つくったと聞きます。
 『母に未来無し』と聞いて一瞬母親を突き放したような印象を受けてしまいましたが、すでに故人となった母親だと思うと、未来が無いという言葉も哀憐に満ちたものへと感じます。
 一方で、『母』という言葉に『母国』というイメージを重ねると、また違う世界が見えてくるように思います。

 写真のキャンプションは『冬の光は母より來ると花まだき一樹の柊をにくしみつ』(豹変)と、
『離住(かれず)みに經たるいくとせ季(とき)過ぎて紫苑(しをん)咲く日を母に對(むか)ひつ』(薄明母音)とから。