万緑の

彦根の龍潭寺(りょうたんじ)。
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NOKTON 25mm F0.95

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M.ZUIKO 75mm F1.8

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NOKTON 25mm F0.95

塚本邦雄
 萬綠の露光る野にめざめたりはね濡れて透く我のそびらよ   (歌誌『オレンヂ』 1947 9月)

沙羅の木の花が足元に落ちてました。これってナツツバキの花じゃないのでしょうか。でもお寺の中で「沙羅の木」といわれると、そう呼ぶ方がふさわしく感じられました。
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M.ZUIKO 75mm F1.8

龍潭寺は直政と縁の深い昊天宗建の開山ですが菩提寺でも墓所でもありません。
そんな寺がなぜここにあるのか気になります。
昊天宗建は僧侶ですが武将としての一面も持っていた人のように感じられます。直政の信頼する人物だったのでしょう。だから直政の死にさいして遺命を受けたのでしょう。

どんな遺命だったのか。
単に庵を結んで菩提を弔えであれば、ここが菩提寺か墓所になったはずです。
遺命は井伊家の行く末を守ることではなかったかと思うのです。

遺命で建てた「豪徳庵」という名前が気になります。

「豪徳」は彦根藩2代目藩主直孝の戒名に出てくる言葉です。(久昌院殿豪徳天英大居士)
直孝は直政の次男ですが、父親と初めて会ったのは1601年、父が佐和山城主として死去する一年前です。

直政の長男直継は初め直政のあとを継いで1606年彦根城を完成させたりしていますが、1614年徳川家康によって上野安中藩へ移され、そのとき父祖の地井伊谷以来の譜代家臣団を連れて行ったようです。
直政の次男直孝は兄の作った彦根城に入って彦根藩主となり、「赤備え」といった武田の系譜を引く武士団を育てていったようです。かれが藩主になった翌年1615年に龍潭寺が開山していますが、
井伊谷にあった父祖と縁の深い寺を彦根に建てたのは政策的なにおいがします。

昊天宗建が直政から託された井伊家は、直継と直孝という兄弟、井伊谷譜代と武田遺臣というそれぞれの確執をかかえていたようです。
その混乱を着地させる装置の一つとして昊天宗建がいたのではないかと感じるのです。