Age of Pen

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しこうしてまた

塚本邦雄
而(しかう)して再(ま)た日本のほろぶるを視む 曼珠沙華畷の火の手   (獻身)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なお矢勝川。
お地蔵さんに持参したお面をかぶせて撮りました。バチがあたりませんように。
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8

彼岸花を家に持ち帰って叱られた記憶があります。喜ばせようとしたのに、墓場の花だと叱られました。
そのせいか写真はセンチメンタルに流れてしまいます。
言い訳に、スーザン・ソンタグの「写真論」の一節です。

 (略) 写真はすすんで郷愁をかきたてる。写真術は挽歌の芸術、たそがれの芸術なのである。写真に撮られたものはたいがい、写真に撮られたということで哀愁を帯びる。醜悪な被写体もグロテスクなものも、写真家の注意で威厳を与えられたために感動を呼ぶものになる。美しい被写体も年とり、朽ちて、いまは存在しないがために、哀感の対象となるのである。写真はすべて死を連想させるものである。写真を撮ることは他人の(あるいは物の)死の運命、はかなさや無常に参入するということである。まさにこの瞬間を薄切りにして凍らせることによって、すべての写真は時間の容赦ない溶解を証言しているのである。

引用した部分は違いますが、ソンタグの写真論は、次々と著名な写真家の名前が出てきて、かれらの写真のイメージがジェットコースターのように頭の中へ浮かんで、読んでいて楽しい本ですが、エキセントリックな言葉遣いにも身体が左右に思いっきり振り回されてしまうので、長く読み続けられません。体力が無くなったのか、知力が衰えたのか、きっと両方だろうと思います。