塚本邦雄
月は東うすき日殘る神無月(かみなづき)鬼住む野には雉(きじ)の聲する (新歌枕東西百景 宮崎県東臼杵郡南郷村鬼神野)
菊合(きくあはせ)月明(あか)ければ丹精の黄花白花(きばなしろばな)色もなしとよ ( 〃  山口県豊浦郡菊川町貴飯)
砂金降る夢よりさめて消息(せうそく)すとはに生きたまへははそはの母 ( 〃  茨城県久慈郡金砂郷村千寿)

なお京都。廬山寺(ろざんじ)。
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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NOCTICRON 42.5mm F1.2

中平卓馬について、もう少し。
引用は、長谷川明がアサヒカメラ増刊「都市を視る」(S58(1983)年7月5日発行)に書いた森山大道論の一部です。
「・・・・(中平卓馬と森山大道の)対談の中で、中平がしきりに早死にの予感を語り、森山も死の恐怖が四六時中頭を去らないと告白しているのは、その後の二人の軌跡を考えると興味深い。中平は死にこそしなかったが予想どおり倒れ、森山は一時健康を害しながらも、写真ヘの取りくみをやめなかった。それは性格の違いもあろうが 森山の方がより写真家だったということだろうか。・・・・」

中平卓馬は、写真集『来たるべき言葉のために』や評論集『なぜ、植物図鑑か』があるとはいえ、きのうの塚本邦雄がいうところの「代表作」というべきものがありません。それをやんわりと「森山の方がより写真家だった」といっているのではないでしょうか。
新しいものを創造してこそ芸術家であり、写真家といえるのであり、ウィリアム・クラインや森山大道はまさに写真家ですが、破壊だけして創造しなかった者は写真家とはいえないでしょう。生きていさえすれば、創造の可能性もあったのですが。

コメント 2

pithecantroupus  2015, 10. 08 (Thu) 18:07

Re: タイトルなし

haradaさん、コメントありがとうございます。
カメラ毎日、なつかしいです。わたしは、毎月カメラ誌を買う余裕もなくて、ときどき各誌の増刊号などを買っていました。
深瀬昌久も好きな写真家でした。家族の写真のしわがれたおばあちゃんの乳房が衝撃的でした。コンテストに応募されたと聞くだけで、すごいなと思います。

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harada  2015, 10. 08 (Thu) 00:47

こんばんは。
 1983年頃はカメラ毎日だけしか見てませんでした。
 早く死ぬという人ほど長生きで、、、。森山大道と似たような写真?(白黒でブレてピンぼけのような)の深瀬昌久という人は早くに死んでしまいましたね。
 中平、、という人は知りませんが、とにかく当時は「大道」「深瀬」という写真家には影響を受けたと思います。
 カメラ毎日 深瀬昌久審査のコンテストには数点応募したのですが、アサヒには森山大道審査のコンテストなんてあったのでしょうか。

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