Age of Pen

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しかもけわしき霜月

塚本邦雄
九年母のふつふつ苦し夕霜になにゆゑよみがへる歓喜天(くわんきてん)  (豹変)
あはあはとしかもけはしき霜月の塋域(えいゐき)にしてあそぶ女童(めわらは)  ( 〃 )

大野市。
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九年母はミカン科の植物で実は独特の香りがあり珍重されたそうです。
きのうアジェとアボットを言ったので、解説代わりに、「写真の見方」(細江英公 澤本徳美 新潮社)から引用。

ユージェーヌ・アッジェ
彼の写真が作品として認められたのは、その最晩年に彼と出会った、実時マン・レイの助手をしていたベレニス・アポットの尽力によるものだった。
アッジェは、消えてゆく古いパリの一面を、当時としても時代遅れのカメラを用い、しかも古典的な手法でとらえた。
当時のパリを撮っていたのはアッジェだけではないが、伎の写真が特に評極されるのは、その古き良きパリに対する思いが見る人に伝わってくるからだろう。
彼独特の方法で時間を止めてしまったような、全く新しい世界がそこにある。
シュールレアリストたちが彼の作品を評価したのも、そこに現実を超える向かを見つけたからだろう。


ベレ二ス・アポッ卜
女流写真家の先駆をなすアポットは、フランスでアッジェの最晩年に接し、大きな影響を受けた。
フランスから帰った彼女は、ニューヨークの街をドキュメントすることに独自の視点を見いだした。師アッジェが消えゆくパリを撮ったのに対し、アポットは変りゆく新しいニューヨークをとらえ、『チェンジング・ニューヨーク』にまとめる。
それは、鉄とコンクリートの街ニューヨークの、写真で語る都市論というべきものだ。
一九五六年、彼女はアッジェの原板から二十種を選び出して自らプリントし、百部限定のポートフォリオを作ってアッジェの名を世に知らしめた。
そのプリントは彼女の情熱がそのまま感じられるような温かみのあるプリントで、後にパリの現像師ピエール・ガスマンが作った正確なだけのプリントと比べると、プリントで写真がいかに変るかがよくわかる。


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