塚本邦雄
ノアのごと祖父ぞありける秋風にくれなゐの粥たてまつるべし  (歌人)
秋夜寶石店出て母の咳(しはぶ)くは洪水のさきぶれのごとしも  (水銀傳説)
ルイス・キャロルありのすさびの薬瓶割れて虹たつなり夢の秋  (されど遊星)

近江八幡で。
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先日、土門拳の露光時間30分のことを紹介しました。
かれが言いたかったことを、
染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』から。

被写体に刻まれた「時」(染谷 學)
機事あれば機心あり
 『荘子』に「機械あれば必ず機事あり、機事あれば必ず機心あり」と
 「機械を持てば機械による仕事が必ず出てくる。機械を用いる仕事が出てくると、機械にとらわれる心が起きる。機械にとらわれると真心がなくなる。真心のないところに『道』は成り立たない。『はねつるベ』を知らないわけじゃない。恥ずかしいから使わない」

被写体と向き合う気持ち
 私が大切にしたいのは・・・写される被写体がその内測に持っている時間。被写体に刻まれた「時」なのです。
 写真はシャッターを切っている瞬間だけが写るものではありません。写されてある瞬間の前後まで感じさせるのが良い写真
 被写体が過ごしてきた時間までも感じさせてくれる写真には特に魅力を感じます。
 デジタルの時代になって、高感度・手ブレ防止・PC調整が可能という状況のなかで、払たちに「機心」は起きていないでしょうか。
 被写体と向き合う大切な気持ちまで失ってはいないでしょうか。
 撮影する私たちが「道」を失わないようにしなければいけないという自戒をこめて記します。


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