Age of Pen

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人より天に

塚本邦雄
馬は人より天にしたがひ十月のはがねのかをりする風の中  (睡唱群島)
秋の鮎咽喉こゆるときうつしみのただ一ところあかるきはざま  (森曜集)
鬱病のはてのくちなし月暈(つきかさ)の色われは恢復を冀(ねが)はず  (星餐図)

近江八幡。
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昨日、カメラ毎日の廃刊にふれたので、廃刊時の編集長だった西井一夫の文を。

『写真よさようなら 義によって立ち止まる 西井一夫』より
(雑誌「写真装置 #12」 1986/1/10 特集 写真の現在)

 写真を趣味とするアマチュア写真家こそ写真の本流なのだが、残念ながら写真を商売とするプロ写真家の予備役としての似而非アマチュアが日本の写真の社会の主流を形成している。
 写真を趣味とするには、何よりもまず“義”が必要である。義によって助太刀する、という時の義である。仁義とか恩義、信義、正義とかの限定される意味を上にかぶる以前の裸のままの義のことである。
 義というのはあくまで個人的なところから発しながら、それが他人を納得させる道理的なところを持っている場合に生ずる。そういう義を負っているところでは、関係性はいつもダイレクトであって、写真を撮るために他人との関係を利用するなどということは起こらない。
 対象との関係の内にまず義があるから、写真こそ手段となる。


廃刊から一年たっていないときの文で、カメラ誌編集を経験した者の熱さを感じる言葉があふれています。
上記の前にはもっと過激に書いています。

 カメラ雑誌に写真を「発表」することなぞをまず辞めなくてはいけない。
 カメラ雑誌など商品テスト以上の存在理由はなくなった
 (カメラ雑誌のコンテストには)八百長的友情に満ちたもの言いも昔ながらにあふれでいる。
 評価されたくて仕様のないホメラレ乞食たち、愛しくもいじましい競争的自己顕示欲のかたまり、エセ表現者たち
 この人たちは何を写すか、ということより、いかに写すかということが常に一番先にくる、つまり存在よりも存在形式の方が大切な技巧の人である。
 大半のアマチュアの写真行為は趣味の表向きをしているがそうではない
 趣味は、人にホメられたり、評価されるためになされるものではない。
 趣味には本来競争主義的意識はない。競争は社会が強いるものであるけれど、趣味は個人的な自己抑制から発する。
 他から強制されることなく、自らに強いることで持続するものが趣味
 続けていく意識のようなものを自分なりに発見し、それによって自身を律していくことなしに趣味は行為とならない。
 趣味は本来何かとの格闘
 格闘の勝負については測るのではなく認識し判断するのである。認識と判断は仕事以上に厳密な自己抑制を要請するものだ。

アマチュアを批判しているのではなく、カメラ雑誌とそれをとりまく日本の写真界への物言いです。
やや長い文の最後は次のように結ばれています。

 確かなる敬意に値するものの前でひとつひとつ立ち止まり、そこからいつでもはじめ直そう、私はそう思っている。


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