Age of Pen

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聖神無月 ~ヴォーリズ・メモリアル

塚本邦雄
絶交の聖神無月 離(さか)りゆく肉日蝕のにほひをのこす  (星餐図)
紺青の絵具罌粟油(けしゆ)に溶くわれは僕(しもべ) 月光のみだるること  ( 〃 )
なかんづく父は濃き夕映に生きなみだとはるるまで水の秋  ( 〃 )

近江八幡。ハイド記念館・近江兄弟社学園で。
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染谷學・大西みつぐ・築地仁『「写真」のはなし』のつづきから

作品ではなく写真を撮る(染谷學)
意識に色付けされる前の世界をとらえる
写真は現実の複写でありながら、いざ一枚のプワントとして映しだされた世界は現実とは違った別の世界でありうる
日常の意識が見ている世界に、カメラという道具でちょっとした亀裂をいれてやる。私は写真を撮るという行為はそのようなことだと考えています
「被写体を一義的な意味にはめ込むこと」「安易に自分を表現した気になること」「形や色などの造形だけで写真を作ること」「決まりきったシャツターチャンスに縛られること」「型にはまったお手本の再生産を繰ち返すこと」、どれも本来写真がもっているはずの可能牲を狭めるものでしかない
私たちは作品ではなく写真を撮る必要がある
写真は、私たちが世界と出会い、世界と繋がる大切な手段なのです。


観光地やイベントで撮影する時いつも、記念写真、絵葉書写真、標本写真に終わっていないか気になります。
たとえば、広角で見上げて全体を撮ろうというアングルの、説明的な写真を撮ってしまう。
それは写真の「記録性」は十分に満たしているけど、標本写真であって、コレクションをしているだけ。
『意識に色付けされる前の世界をとらえる』のは難しい。
記念写真や標本写真を撮っていても、写真としての普遍性を写している一部の写真家たちの才能には、激しく嫉妬し羨望します。

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