わが血はみどり

近江鉄道「鳥居本」で。
01LR6-_M240163-1.jpg
「おもちゃの駅」風に。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

02LR6-_M240173-1.jpg
今どきならばこんな高い天井は。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

03LR6-_M240152-1.jpg
三位一体の、マド。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

04LR6-_F240885-1.jpg
窓が好き。 NOKTON 25mm F0.95

塚本邦雄
 獻血のわが血は碧(みどり)、人間にわかつなど滅相もござらぬ   (獻身)

みどり色の血をもつあなたは何者と想像をふくらませるのが楽しいのですが、
むかし赤チンという薬をスリ傷に塗ると、光の加減で緑色に光って見えたような記憶があります。
あれは水銀化合物の色だったのでしょうか。

すがるよ

近江鉄道「鳥居本」は二度目の撮影ですが、まったく進歩がないというか、むしろ後退したような写真でした。
ありきたりの二番煎じの写真と言われそう。
02LR6-_M240177-1.jpg
記念写真その一。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

03LR6-_F240892-1.jpg
遅れはありません。 NOKTON 25mm F0.95

04LR6-_M240211-1.jpg
電車が入ってきました。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

スガルは「じがばち」という昆虫の名称だそうですが、挫折している者は何にでもすがりたいので。
塚本邦雄
 書かず終るわが消息の遠景に散るラガー金色(こんじき)の蜾蠃(すがる)よ   (閑雅空間)

05LR6-_M240206-1.jpg
記念写真その二。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

あはれ

いいかげんにしようと思いつつ龍潭寺。
01LR6-_F240860-2.jpg
本堂入り口の三和土(たたき)。 NOKTON 25mm F0.95

02LR6-_F240871-1.jpg
お墓参りの道具の中に。 NOKTON 25mm F0.95

03LR6-_M240081-2.jpg
緑が美しすぎて。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

04LR6-_M240023-2.jpg
あなたは立派だ。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

塚本邦雄の反語表現詰め合わせです。
塚本邦雄
 劉生のあはれみにくき美少女はひるの冰室の火事見つめゐし   (閑雅空間)

たとへばとある

仏の顔も三度目の龍潭寺。
01LR6-_F240841-2.jpg
流し目。 NOKTON 25mm F0.95

02LR6-_F240779-2.jpg
赤い壁。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

03LR6-_M240017-2.jpg
参道。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

04LR6-_M240130-2.jpg
さかしま。 M.ZUIKO 75mm F1.8

塚本邦雄
 不定冠詞たとへばとある晴天に黴の靴干しつらね市民は   (綠色研究)

今回もレンズを交換しすぎです。
いくつも画角が必要ならズームを使えばよいので、せっかくの単焦点を生かし切れていません。
なかなか撮影に行けないのでついどん欲になって、かえって焦点を絞り切れていません。
私の夢はむかしのローライのようにレンズ固定の一台だけで撮影する事。
私のフィルム時代の最後は、67判の80mm固定の1台と55mm固定の2台目だけで出かけていました。
そこへ戻ろうというのが目標です。
残念ながら、その欲望を満たしてくれるカメラがまだデジタルにはないのです。

万緑の

彦根の龍潭寺(りょうたんじ)。
01LR6-_F240684-1.jpg
NOKTON 25mm F0.95

02LR6-_M240039-1.jpg
M.ZUIKO 75mm F1.8

03LR6-_F240693-1.jpg
NOKTON 25mm F0.95

塚本邦雄
 萬綠の露光る野にめざめたりはね濡れて透く我のそびらよ   (歌誌『オレンヂ』 1947 9月)

沙羅の木の花が足元に落ちてました。これってナツツバキの花じゃないのでしょうか。でもお寺の中で「沙羅の木」といわれると、そう呼ぶ方がふさわしく感じられました。
LR6-_M240047-2.jpg
M.ZUIKO 75mm F1.8

龍潭寺は直政と縁の深い昊天宗建の開山ですが菩提寺でも墓所でもありません。
そんな寺がなぜここにあるのか気になります。
昊天宗建は僧侶ですが武将としての一面も持っていた人のように感じられます。直政の信頼する人物だったのでしょう。だから直政の死にさいして遺命を受けたのでしょう。

どんな遺命だったのか。
単に庵を結んで菩提を弔えであれば、ここが菩提寺か墓所になったはずです。
遺命は井伊家の行く末を守ることではなかったかと思うのです。

遺命で建てた「豪徳庵」という名前が気になります。

「豪徳」は彦根藩2代目藩主直孝の戒名に出てくる言葉です。(久昌院殿豪徳天英大居士)
直孝は直政の次男ですが、父親と初めて会ったのは1601年、父が佐和山城主として死去する一年前です。

直政の長男直継は初め直政のあとを継いで1606年彦根城を完成させたりしていますが、1614年徳川家康によって上野安中藩へ移され、そのとき父祖の地井伊谷以来の譜代家臣団を連れて行ったようです。
直政の次男直孝は兄の作った彦根城に入って彦根藩主となり、「赤備え」といった武田の系譜を引く武士団を育てていったようです。かれが藩主になった翌年1615年に龍潭寺が開山していますが、
井伊谷にあった父祖と縁の深い寺を彦根に建てたのは政策的なにおいがします。

昊天宗建が直政から託された井伊家は、直継と直孝という兄弟、井伊谷譜代と武田遺臣というそれぞれの確執をかかえていたようです。
その混乱を着地させる装置の一つとして昊天宗建がいたのではないかと感じるのです。

くさりゆりちり

きのう行った彦根の龍潭寺(りょうたんじ)。
04LR6-_F240746-1.jpg
KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

02LR6-_F240757-1.jpg
KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

03LR6-_F240762-2.jpg
KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

01LR6-_F240728-1.jpg
KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

龍潭寺は、彦根市の郊外で、石田三成の居城のあった佐和山の麓にありました。
 1600年 関ヶ原の戦い。佐和山城も落城して、三成の父正継と兄正澄が死去。
 1600年 井伊直政、佐和山領主。
 1602年 井伊直政、関ヶ原で島津から受けた鉄砲きずが元で佐和山城で死去。墓所は浜松市龍潭寺、彦根市清涼寺ほか
 1602年 昊天宗建(こうてんそうけん) 直政の遺命で佐和山に庵をたてる。
 1608年 彦根城完成。
 1615年 龍潭寺完成。(1601着工)
井伊家の菩提寺は龍潭寺ではなく、隣接する清涼寺と東京にある豪徳寺だそうです。清涼寺は石田三成家臣島左近屋敷あとらしいです。豪徳寺はネコが有名らしい。

きょうの引用は塚本邦雄の有名な短歌ですが、意味はよくわかりません。
解説書を読んでも、リズム感を味わえばよいというようなことが書いてあって、やっぱり理解不能です。

塚本邦雄
 錐・蠍・旱・雁・掏摸・檻・囮・森・橇・二人・鎖・百合・塵   (感幻樂)

語尾が「リ」の単語を並べてあるのはわかるのですが、リズム感だけでいいのだろうかという疑問です。
暗号が隠されているのではないかという疑問がぬぐえません。

なみだぐむ夏至の

帰宅が遅くなったので、一枚だけですが、きょう行った彦根の龍潭寺の写真も。
ここで4月にだるま祭というのがあって、だるまさんがここのキャラクターらしいです。
おみくじの入った小さいだるまを買いました。「小吉」でした。
LR6-_F240851-1.jpg
NOKTON 25mm F0.95

あとは、きょうも先月末の写真で。
山女原(あけんばら)、笹路(そそろ)など個性的な地名の滋賀県甲賀市土山町内。
01LR6-_F280237-6.jpg
M.ZUIKO 25mm F1.2

02LR6-_F280205-6.jpg
M.ZUIKO 25mm F1.2

03LR6-_F280036-6.jpg
M.ZUIKO 25mm F1.2

なお、俳句つながり。
塚本邦雄
 眼より肉なみだぐむ夏至の天   (現代詩手帖「塚本邦雄の宇宙」より 斎藤慎爾選「燦爛」)

百合一花

6月の重箱が空っぽになったので、先月末の写真で。
01LR6-_F280283-1.jpg
Helios 85mm f1.5

03LR6-_E288267-1.jpg
TOKINA Reflex 300mm F6.3

きのうの俳句つながりで。
塚本邦雄
 百合一花崑崙に雪ありと思へ   (斷絃のための七十句)

食わさんとするまっ青

ことしの4月に、あの日を忘却しないようにと買った「くまモン」のプラモデルで遊んでます。
クマモトを応援するどころか、私の方が癒されて応援されているような感じです。
「くまモンの秘密」という本まで買ってしまいました。
01LR6-_R669037-1.jpg
M.ZUIKO 25mm F1.2

03LR6-_R668939-1.jpg
TOKINA Reflex 300mm F6.3

引用はアジサイの青とひとつひとつが小さい星のような花にちなんで。

塚本邦雄
 吾妹に食はさむず眞靑の金平糖   (燦爛)

愛人(吾妹)に食わせよう、青酸(シアン=青)入りの金平糖。というところでしょうか。
合理性も倫理感も、一瞬の恍惚の前には意味がないのでしょうね。

わが愛を錘となし

”未練”のつづきを大和郡山で。
01LR6-_F050376-3.jpg
NOKTON 17.5mm F0.95

02LR6-_E058335-1.jpg
KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

03LR6-_F050487-3.jpg
NOKTON 17.5mm F0.95

04LR6-_E058516-1.jpg
M.ZUIKO 25mm F1.2

もう夏至だそうです。

塚本邦雄
 水(みず)の上に咲くは河骨わが愛を錘(おもり)となして一夜(ひとよ)ただよふ   (翠華帖)

大和郡山の金魚は、かの柳沢吉保の子の吉里が甲府から移ったときに持ち込んだものと聞きました。
そのとき金魚を携えた柳沢家の家臣の名と、忠臣蔵の大石内蔵助の子孫が一度途絶えた後再興されたとき養子を迎えた家の人の名が同じなのに不思議な因縁を感じました。後者はきっと広島藩あたりの人でしょうから別人でしょうが、忠臣蔵における吉保と内蔵助の立場を考えて、面白く思ったのです。

しかずされども

”未練”を軽蔑しつつ断ちがたいので、いまさら6月初旬の写真で。
当然”重箱の隅”写真ですが、面の皮の厚さと心臓に生えている毛のおかげで臆面もなく。
01LR6-_E058648-2.jpg
KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

LR6-_E058542-1.jpg
KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

LR6-_E058586-1.jpg
KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

つゆ草(つきくさ)は秋の季語だそうで、梅雨どきなのでつい間違って引用してしまいました。

塚本邦雄
 歌はざるに及かずされどもあかときに一生のつきくさが虛(きよ)の藍   (不變律)

明け方の一本のつゆ草の青い花に感じたはかなさを自分の身にもおよばせてしまった感覚が、未練の写真にすがっている自分を批判されたように感じて。

一瞬に似て

土曜日の仕事のよそ見写真のつづきで、テーマは緑です。
02LR6-_R668893-1.jpg
ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro

LR6-_R668626-2.jpg
ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro

塚本邦雄
 安樂死の一瞬に似て綠蔭の太極拳ゆるやかにかたぶく   (獻身)

すずしき夏を

もう時期も終りのクチナシですが、匂いだけはまだ強くただよっていました。匂いは写真に撮れないので、崩れかけた花で。
LR6-_R668425-2.jpg
ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro

LR6-_R668451-1.jpg
ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro

聖ラザロの記念日が6月なので、
塚本邦雄
 毒舌のすずしき夏を聖ラザロ寺院の鐵の扉のつばさ   (感幻樂)

と言いつつ聖ラザロを知らないので、例のごとく検索して一度死んで生き返った人だと知り、わけもなく力づけられた私はほんとうに単細胞です。

いざ金星

一年前にも土曜日に仕事をしながらちょっとよそ見して写真を撮ってましたが、きょうは一年ぶりのその日です。
ここは様々な薬草が少しづつ植えられているところです。紅花もあります。
01LR6-_R668513-1.jpg
Helios 85mm f1.5

02LR6-_R668502-1.jpg
Helios 85mm f1.5

03LR6-_R668533-1.jpg
Helios 85mm f1.5

塚本邦雄
  初夜(そや)の鐵線(てつせん)
   髪膚爽やかなる
    男ばかりえらびていざ金星へ   (水無月帖)

記憶の中の空の

五月病が長引いてまだ郡山です。
前にも同じような写真をとっていたような記憶があるのですが、最近ものわすれが多くて、同じ場所をぐるぐる回って、ちっとも前へ進ません。
もう自分の写真はだめなのかと思うのは、きっと五月病が治っていない証拠です。
01LR6-_F050520-1.jpg
わたしの大好物はのがせません。 NOKTON 17.5mm F0.95

02LR6-_F050504-1.jpg
緑もきらいではありません。 NOKTON 17.5mm F0.95

03LR6-_E058399-2.jpg
白壁が目にしみて色は消え。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

塚本邦雄
 記憶の中の暑き花屋に空の甕ならびゐてその一つ父の貌   (日本人靈歌)

楠見朋彦「塚本邦雄の青春」に次のようにありました。、
 塚本は武川忠一氏の歌集評で、父をめぐる愛憎の歌が自分には羨ましかったと書いている。
 『私には幻想の父しかいない。嬰児の段階で父にしなれた子には、瞼の父すらゐないのだ。私の歌集にあまたたび出没する”父”は、無限に増殖し、百面相を演じ、時にはスーパーマンとなる』