晩年に秋風の扉

塚本邦雄
天に鳴るは皂莢(さいかち)のさやあたらしき晩年に秋風の扉あり   (波瀾)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

半田矢勝川なお。
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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M.ZUIKO 17mm F1.8

 昨日の塚本邦雄の歌の「天災的天才」は彼らしい言葉遊びでしょうが、天才も天災も、出あえば、(自分の才能を思い知って)落ち込んだり、(未来への希望を失って)心が萎えたりするところは同じと言えるかもしれません。
 「天才」という言葉にわたしが思いついたのは、塚本靑史「わが父 塚本邦雄」の次の一節です。

(寺山修司が) 野球を全く知らない邦雄に、どういうゲームか解説したという。
「投手と捕手という恋人同士がいてきあ。彼らはボールを投げることによって初めて意思を伝え合えるんだ。それを、バッターっていう横恋慕男が邪魔をしてボールを打つんだ。でも二人には、内野と外野と呼はれる七人の味方がいて、ボールを取って返してくれる。野球ってそんなゲームなんだよ」
寺山修司からこのように説明されて、邦雄は解ったというから恐ろしい。

ふたりとも天才だなあ。かなわないなあ。と、つくづく感じました。



ふしあわせを愛して

塚本邦雄
グレープフルーツに西陽の香なにごとも勃(おこ)らぬふしあはせを愛して   (黄金律)
天災的天才とおもふいくたりかこの世ありて緋の烏瓜   ( 〃 )
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ヒガンバナにもどって。
ウィンドウズのアップデートに思わぬ時間がかかってしまいました。マイクロソフトの不親切にプンプンです。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8

りんりんと

塚本邦雄
りんりんと齒の根は痛む夢の底濃きたそがれにとどくばかり   (閑雅空間)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ヒガンバナの写真にもどる前に、半田赤レンガ建物で。
 赤レンガでは、村井修写真展が開かれていました。入口付近にゴッセンかウエストン(?)の反射式露出計や小さなビューカメラがおいてありましたが、エイト・バイ・テンの大きいのを想像していたわたしは肩透かしをくらった感じでした。モノクロームの端正で諧調豊かな写真は、RCを撮っていても、「日本的」な抒情性を身にまとっていました。
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8

『りんりん』という言葉は覚えがありました。中学生のころ国語の授業で、三好達治の「乳母車」という詩を読みました。

 (略)
 母よ 私の乳母車を押せ
 泣きぬれる夕陽にむかつて
 りんりんと私の乳母車を押せ

あのときの記憶はあざやかに残っています。

 私的な理由でブログのコメント欄を閉じて半月がたちましたが、ブログを続けていく意欲だけでなく写真を撮る意欲まで低下するのを感じて、”拍手”ボタンを設定することにしました。
”Age of Pen”をご訪問いただいている皆様にはこれからもよろしくお願いいたします。

の果てにわれは

塚本邦雄
駝鳥の檻の中に荒野がしらじらと顯つ その果てにわれは赴きたし   (日本人靈歌)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ヒガンバナを3日も続けたので、きょうはヒガンバナのはてに見た”ごん”の夢でお茶をにごし。
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8

しこうしてまた

塚本邦雄
而(しかう)して再(ま)た日本のほろぶるを視む 曼珠沙華畷の火の手   (獻身)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なお矢勝川。
お地蔵さんに持参したお面をかぶせて撮りました。バチがあたりませんように。
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8

彼岸花を家に持ち帰って叱られた記憶があります。喜ばせようとしたのに、墓場の花だと叱られました。
そのせいか写真はセンチメンタルに流れてしまいます。
言い訳に、スーザン・ソンタグの「写真論」の一節です。

 (略) 写真はすすんで郷愁をかきたてる。写真術は挽歌の芸術、たそがれの芸術なのである。写真に撮られたものはたいがい、写真に撮られたということで哀愁を帯びる。醜悪な被写体もグロテスクなものも、写真家の注意で威厳を与えられたために感動を呼ぶものになる。美しい被写体も年とり、朽ちて、いまは存在しないがために、哀感の対象となるのである。写真はすべて死を連想させるものである。写真を撮ることは他人の(あるいは物の)死の運命、はかなさや無常に参入するということである。まさにこの瞬間を薄切りにして凍らせることによって、すべての写真は時間の容赦ない溶解を証言しているのである。

引用した部分は違いますが、ソンタグの写真論は、次々と著名な写真家の名前が出てきて、かれらの写真のイメージがジェットコースターのように頭の中へ浮かんで、読んでいて楽しい本ですが、エキセントリックな言葉遣いにも身体が左右に思いっきり振り回されてしまうので、長く読み続けられません。体力が無くなったのか、知力が衰えたのか、きっと両方だろうと思います。

平安は光りなく

塚本邦雄
曼珠沙華わが掌に傷み平安は光りなく身より亡(う)するかなしも   (薄明母音)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

愛知県半田市矢勝川で。
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8

薄明母音は塚本邦雄が初期の作品を再録した歌集で、引用した歌は昭和18年の同人誌「紀元」に載っているそうです。およそ30年経った昭和47年に曼珠沙華斷想と題した文を別の同人誌発表しているようです。冒頭は、

 僕は曼珠沙華を好む。合歓にも薊にもダリアにもまして曼珠沙華を愛する。台風の過ぎた草むらにこの花がめらめらと炎え上ると、背中をどやされた様な烈しいシヨックをうけて夏のらんだ(懶惰)が瞬時に消え亡せる。些の胡麻化しもない、八方破れの、ぎりぎりの絶体絶命のこの美しさを見ると完全に「負けたッ」と思ふ。シユトラヴインスキイの音楽を聴くと、この花を思ふ。ビアズリイの絵にこの花の匂ひがする。かつてピエール・シユナアル作の「生けるパスカル」でジネット・ルクレルといふ女優を見た時もこの花を感じた。

ビアズリーは同意、ストラヴィンスキーは納得、でも1936年の「生けるパスカル」は初耳です。ネットでジネット・ルクレールを検索して写真を見ましたが、わたしの感受性が鈍いせいで、そこから曼珠沙華は感じられませんでした。わたしの感受性は、もっとcurvieな女性を連れてきます。

よろこびのために ~矢勝川のヒガンバナ

塚本邦雄
曼珠沙華もつるる蘂の初冠(うひかむり)人はよろこびのために衰ふ   (驟雨修辭学)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

きょうは愛知県半田市でヒガンバナです。
朝から雨がふったりやんだりで、お昼過ぎには一時激しい雨足でした。
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8

半田は新美南吉の生地ということで、家からキツネの面を持参しました。
ごんぎつねという童話は小学生の時に読みました。

 「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」

胸中に一粒の火

塚本邦雄
あしたありゆふべありけり胸中に一粒の火の言葉ふふみて   (天變の書)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

津市河芸町千里、マリーナ河芸。
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LUMIX G 20mm f1.7
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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TOKINA Reflex 300mm F6.3

明日も

塚本邦雄
ゆふべは秋の西方昏し飛ぶ鳥の明日も屋上を奔れ鳶職   (黄金律)
仲秋の茗荷はじかみ舌刺して村山槐多、下村槐太 ( 〃 )
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

どこへも行けないので我が家の庭で。
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8

 下村槐太を知らず、ネットで検索して、大阪生まれの俳人と知りました。1910年生まれで、42歳でいったん句作を中断し54歳で再開して56歳で死去(ウィキペディアより)。わたしは俳句にほとんど関心がありませんし、俳句を配した写真を見ると嫌悪感すらおぼえますが、下村槐太の句には俳句もすごいなあと感じました。
  のうぜんのかさりかさりと風の月
  人貧し路地の夕三日月金に
  祭あはれ夕焼がさし月がさし
  秋浪のうすき渚が雨の中
  鉄塔があやつる蝶のかずしれず
  死にたれば人来て大根煮きはじむ
  あまりにも菊晴れて死ぬかもしれず
  月光に子の夢はらう咒をしらず
  秋蝉に榧搾めらるる如くなり
  蛇の衣水美しく流れよと

愛ありし辺(へ)に

塚本邦雄
橙紅(たうこう)の空きれぎれに秋きのふ愛ありし邊(へ)に歩みあやまつ   (星餐圖)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ご近所でお茶を濁し。
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SUMMILUX 15mm F1.7
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LUMIX G 20mm f1.7
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LUMIX G 20mm f1.7
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LUMIX G 20mm f1.7

突風に

塚本邦雄
カロッサ忌なり樂器店開店の花環突風にて總倒れ   (豹變)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

台風です。へたくそな写真。けん怠。鈍感。灯りがほしい。
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Zuiko ED 8mm F3.5 Fisheye
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NOKTON 25mm F0.95
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NOKTON 25mm F0.95
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M.ZUIKO 75mm F1.8

私の町(三重県北勢地方)では午後2時から4時の間に峠を越えましたが、伊勢和台風のトラウマをいまだにひきずる身としては、被災された地方の方々に心が痛みます。あのおそろしい一夜の経験はけっして忘れません。

こころざしうすべにの

塚本邦雄
秋の虹昨日(きぞ)心中(しんちゆう)にねぢふせしこころざしうすべにのこころざし   (黄金律)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ご近所の海岸へ散歩のふりをして出かけ。
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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SUMMILUX 15mm F1.7
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SUMMILUX 15mm F1.7

半時間ほど撮って、日差しがないにもかかわらず汗まみれになりました。
いつか見たような写真をまた撮っていると思うと、意欲もわかず足取りだけが重くなりました。

月光をつつみ

塚本邦雄
「不逢戀(あはざるこひ)」の歌合果つかへりなむ外套に月光をつつみて   (黄金律)
夜の水呼びかへさむとくれなゐのにはかに荒(すさ)みゆく曼珠沙華   (芒彩集)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

十五夜の帰宅途上でとった記念写真残り物。
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LUMIX G 20mm f1.7
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LUMIX G 20mm f1.7

ヒガンバナが咲いていたら撮ろうと鞄の底にカメラをしのばせましたが、花のかわりに十五夜の月に出会いましたので少し回り道をして、ジョギングをする人だけが黙々と走る夜の公園へいって空を撮った残り物です。暗闇のうえ一日の仕事の疲れ目でピントが合わず困りました。(夜間撮影では、露出補正値やISO値、測光モードの変更に加えて、ピント合せをマニュアルにしていますので。)
きょうも雨が降ったりやんだりで雲におおわれていて、3日前の十五夜の晴天がもうずっと前のことのような気がします。

家の中でじっとしている日は本を開いています。
まえに引用した「伝わる写真」にこんな一節があります。

  写真を撮るということは、なにか自分の目で見るということだろうけれど、そうであればその目を鍛えることは重要なことだと思う。そのために僕にとって有効だったのは、なにかを読むことや撮ること以上に、写真を見ることだった。

著者が見ているのは写真集です。 べつのところで、図書館にこもって写真集を読みあさっていたと書いてあります。
まったく同感のわたしは、だから、家の中でじっとしている今日は写真集を見ています。

記憶にこころを支ふ

塚本邦雄
雲生(あ)れて地上のわれら翳らへる葡萄月(ウインデミア) 死も結實(みのり)に到る   (水銀傳説)
硝子建築芯まで夕映えて今も惻惻とマヤコフスキーの死   (日本人靈歌)
秋の蛇舌ほのかなり人はなほ戀の記憶にこころを支ふ   (天變の書)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

「葡萄月」(Vendémiaire ヴァンデミエール)は、仏革命暦のなかの秋のひと月だそうです。
この言葉を知って、革命っていうのはすごい事だと、改めて驚きました。
まともな撮影行にでかけてないので、トリエンナーレの残り物で。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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NOKTON 17.5mm F0.95
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NOKTON 17.5mm F0.95
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

ガラスは見飽きることがありません。
固体なのに液体というアンドロギュヌス。透過し反射する光に見入ります。

金曜のよひ

塚本邦雄
若月(みかづき)のパンもとめ來る金曜のよひ たちまちにして欠けそめつ   (豹變)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

トリエンナーレ栄会場で。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

おまけに長者町駐車場の壁画も。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

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pithecantroupus

Author:pithecantroupus
三重県在住。男性。
2016年4月27日から復興を願う気持ちをこめてアイコンをくまモンに変えています。

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