夢はゆめ

 きのうの「花つひに散るや散らずや・・・」は塚本邦雄が源氏物語の各巻に和して歌ったうち「花散里」の題詠でしたが、わたしのご近所はたしかにもうほとんどサクラは散ってしまいました。
 今春は京都と滋賀とご近所だけでしたので、残り物がないかと重箱の隅をつついています。
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公園の中心には泉ですよね。 NOKTON 17.5mm F0.95

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ここは琵琶湖疎水の上、蹴上。 NOKTON 17.5mm F0.95

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柳は動物園にあります。 NOKTON 17.5mm F0.95

 京都の回顧写真なので、花の都の歌を引用して。
塚本邦雄
 夢はゆめ花のみやこを遁(のが)れむと落ちゆくや今日須磨のあらし   (源氏五十四帖題詠)

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ピント位置に失敗しましたが、自分には甘くいく主義。 Helios 85mm f1.5

ゆるびつつ

 平安神宮の紅しだれライトアップから数枚選びました。本音をいえば一枚だけにしたいのですがついつい上げてしまいました。
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NOKTON 17.5mm F0.95

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NOKTON 17.5mm F0.95

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NOKTON 17.5mm F0.95

 きのうの杉原一司つながりの一首と、あすが復活祭なので。
塚本邦雄
 杉原一司、稗田雛子もおもかげにたちつつ奈良市坊屋敷町   (毎日新聞1990年7月21日「追悼 前川佐美雄」)
 冷凍鱒緋色にゆるびつつ正午 復活の後(のち)にもまた死ある   (日本人靈歌)

 夜のモノクロームだけでは紅しだれとは分からないので、昼間の写真をおまけです。
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Helios 85mm f1.5

 最近とくに、交換レンズを多めに持参するようになったし、ワン・シーンでの撮影枚数が増えている傾向があって、未練がましくなったのはわたしの脳がゆるびつつある証左だと感じます。
 反省、反省!

めざむるなかれ

 一年経ちました。
 きょうは平安神宮の写真です。
 「平安」という字に願いを込めて。
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Helios 85mm f1.5

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NOKTON 17.5mm F0.95

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NOKTON 17.5mm F0.95

 もしかして塚本邦雄も花粉症だったのかなと、期待をこめつつ想像しました。

塚本邦雄
 火藥紛紛 杉の花季(はなどき)過ぎつつを杉原一司目覺むるなかれ   (詩魂玲瓏)

 「スギの花」「スギつつ」「スギ原一司」と同じ音を繰り返しつつ、戦後の短歌をいっしょに歩み出しながら夭折した「戦友」杉原一司を心からくやんでいるいると感じます。
 「目覚むるなかれ」は、塚本邦雄のいつもの反語表現で、目覚めてほしいといいたいのだと思います。
 悔やみの歌はきょうという日にふさわしいと思いました。

あやふきまなかひ

 きょうは一枚目だけでいこうとおもったのですが、自分に鞭打って(笑々)、無理をしました。(2枚目のできが悪いのはそのせいです(汗)。)
こんな日もあります。(できが悪いのはいつものことでした(笑)。)

 蹴上インクラインは桜を見上げる人人人で、内気なわたしはメイン通りから逸れて、横から眺めていました。

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蹴上インクラインで。 NOKTON 17.5mm F0.95

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南禅寺といえばレンガははずせません。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

 歌の方はきのうの「まなかひ」つながりです。
塚本邦雄
 消息の絕閒あやふきまなかひに顯(た)ちつつ鬱金微塵の櫻   (芒彩集)

まなかひにある花の

 日曜日に京都へ行きましたが収穫が少なくて手が進みません。
 とはいっても、それは自分の腕のせいでカメラやレンズのせいではありませんから、気を取り直して。
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平安神宮で。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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琵琶湖疎水で。 NOKTON 17.5mm F0.95

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南禅寺で。 NOKTON 17.5mm F0.95

 塚本邦雄は戦争批判の短歌がたくさんあって、きょうの歌も有名なものらしいですが、昨今の日本附近のあやしい空気を気にして、世紀末ではないけれど、選んでみました。
塚本邦雄
 世紀末まなかひにある花の夜をいくさいくさいくさいくさい   (魔王)

がばと起て

 きのうは夜桜を見物にいきましたが、撮った写真を後から見て、記録か記念に撮ったような写真が多くて反省しきりです。。気分に浮かれて、写真を撮らされました。
もっと自分らしい写真を意識しないと、これでは老化どころか、幼児退行して赤ちゃんにもどってしまいそうです。
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今夜は「紅しだれコンサート」が開催中です。 NOKTON 17.5mm F0.95

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ちょっとピンボケ。 Helios 85mm f1.5

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のぞき趣味。 Helios 85mm f1.5

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ここは平安神宮です。 Helios 85mm f1.5


 退位の話題を見聞きすることが最近多いので。
塚本邦雄
 國體につひに考へ及びたる時凍蝶(いててふ)ががばと起てり   (黄金律)

どこか明るく

 興聖寺は現役のお寺なので手入れも行き届いてチリ一つありません。「チンダル現象」で光の射している光路が見えるほどに、ほこりだらけのわが家とは雲泥の差です。
 今日は、庫裡の廊下や僧堂の三和土(たたき)の写真で。
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主役は光。光が廊下を清掃している。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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右に並ぶのは座禅用の座布団。昼寝用のマクラではありません。 M.ZUIKO 25mm F1.2

塚本邦雄
 夜更け地のどこか明るく風邪の子のしめりたる掌(て)に肉桂匂ふ   (装飾樂句)

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金色につつまれる時間まで。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 目がかゆいので花粉症なのだと思いますが、寒気がするのは何故でしょう。鼻水も止まりません。

 きょう読んだ本に石川直樹の言葉がのってました。
 「やっぱり自分の美意識で四角に切り取ると、自分の美意識で切り取った狭い世界しか写らない気がするんですよ。・・・(略)・・・自分が撮るというより、向こうから投げられてくるボールをカメラをグローブのようにしてキャッチしたい。キーパーがボールを取っていくように、世界を受け止めたいんです。」(小林紀晴「写真と生活」 リブロアルテ)
 「世界」という語に石川らしさが表れているように感じました。

こころのかたすみに

宇治、興聖寺の建物は応仁の乱で焼けて、江戸時代に入ってから伏見桃山城の遺構などを用いて再建されたそうです。また、二つある書院は明治大正の築ということです。
今日は、唐風の山門と、いまにも座禅が始まりそうな僧堂です。
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丸いのはレンズのせいです。いえ、私の歪んだ心です。 ZUIKO ED 8mm F3.5 Fisheye

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この先は立入禁止。だからピントもはずしました。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 きのうの「漁色てふこれぞまことは靑年に投網(とあみ)放てる白魚處女(しらうををとめ)」は、もしかしたら白魚処女という人がいるのかもしれませんが、私には分かりません。作者は何々おとめという言葉をいくつも歌におりこんでいます。お気に入りなのでしょうか。
 鶺鴒少女(せきれいおとめ)、桜桃処女(おうとうおとめ)、木犀少女(もくせいおとめ)、紅茸少女(べにたけおとめ)、鶍少女(いすかおとめ)、杏少女(からももおとめ)、尺蠖少女(しゃくとりおとめ)、麦少女(むぎおとめ)といくつも見つかります。 

塚本邦雄
 鮒鮨のけはしき酸味舌刺してこころのかたすみに西行忌   (豹變)

これぞまことは

宇治、興聖寺の開祖は道元禅師だそうで、1233年ここを開創されたあと越前に移って永平寺を開いたようです。
きのうにつづき今日は、回廊の窓、清掃のいきとどいた桟敷、ひかり射す堂の一角。
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ここでは時間が見える。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

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直角に歩いてしまう。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

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音がでるまでの午睡。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 きのうの「紅梅黒し国賊のその一匹がみんごと生きのびてここに存る」を読んで、ああ作者はかつて国賊と言われた経験があるのだろうと思いましたが、その記憶と紅梅が何故むすびつくのか想像できないのです。
 紅梅が黒ずんでもかすかに残っている香りをかいで、だれもが忘れた過去の記憶が自分にはかすかに残っていることに気付いたのでしょうか。「みんごと」というのは見る見られる視線を意識した形容ですから、作者には、国賊と言った人間がまざまざと見えているのかもしれないと感じます。
 ところで塚本邦雄の歌を読んでいると、漢字で遊んでいるのではないかと思うことがときどきあります。黒も国も音読みはコクです。漢字のイメージから国賊という語につながったのではないかとも想像するのです。

塚本邦雄
 漁色てふこれぞまことは靑年に投網(とあみ)放てる白魚處女(しらうををとめ)   (風雅黙示録)

生きのびてここに

宇治、興聖寺。曹洞宗の道場だそうです。
うつくしい仏具のおかれた開山堂、履物入れの続く内庭の回廊、音の数を数える小石のある鐘楼。
訪問者は多くともしずかな雰囲気を終始うしなわない場所でした。
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開山堂でおつとめを待っている。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

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陽ざしの中をまっすぐに。 M.ZUIKO 25mm F1.2

塚本邦雄
 紅梅黑し國賊のその一匹がみんごと生きのびてここに存る   (獻身)

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12番目が見つからない。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

 ブログで一番望んでいることは写真を見ていただくことですが、美しい風景や観光スポットで撮った写真はどうしてもどこかで見たような写真になっています。きれいな景色や花をきれいに撮るのも私には難しい事で、それさえ出来ないくせに、自分らしさをどこに求めればいいのか悩みます。

 塚本邦雄の短歌を毎日引用しているのは、誰かの写真と同じように撮れば済むという怠惰に流れそうな自分への諫めとして、彼の短歌のように予定調和を排除し禁忌を犯す態度で写真を撮りたいという願望の反映です。
 たとえば、きのうの「山川のたぎち終れるひとところ流雛(ながしびな)かたまりて死にをる」の最後の一節などはバッド・テイストで、何か言う気持ちさえ萎えてしまうのですが、明のうらの暗を見る態度が弱ってきている自分に気づかされます。