残り物

君が畑は木地師の里とよばれているそうですが、木地師という職が伝統的な響きを帯びているように、この地もだんだんと時代の後方へ行こうとしているように見えます。
住んで生活をしている方に、とても失礼な言い方ですが。

しかし時の流れにとりのこされて、いっそう美しくなるというのも真実と感じるのです。
打ち捨てられたものさえ、ここでは美しいと思います。

わたしは自分の醜さを知っていますが、ここの空気を吸っていると、そのことが薄れていくような気がしてくるのです。
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PEN-F 135mm

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PEN-F 135mm

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かたきのまちへ

”散歩写真”ではなく、仕事帰りの”道草写真”です。(汗)

塚本邦雄
 菜の花のつめたき朝の崖下りひとり敵(かたき)の街へむかへる
 肉体の神もしらさぬ暗がりにほのぼのとともる一つ菜の花

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PEN-F 75mm

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PEN-F 25mm

花の写真は苦手なので、欲求不満解消に、何でもない写真も。
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PEN-F 75mm

新緑の古刹で考えたこと

白鹿背山東光寺なお。
 きのうの紹介文中にあった「聖徳太子開基の天台寺院」といえば、近所にある百済寺の創建も同じで、何か因縁でもあるのでしょうか。
 また、「永禄11年の戦禍」は、信長が六角承禎と戦った観音寺城の戦のことでしょうか。主戦場が東光寺と同じ東近江市にあった箕作城だそうですので。なおこの時、最後に信長に降りた六角氏家臣が人質として差し出した子が蒲生氏郷だとはじめて知りました。

葉室麟「冬姫」で書かれた氏郷はちょっと格好良すぎでしたが、三重県松阪の城主になったこともあるので親近感がわきます。

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PEN-f 135mm

木々の新芽に沁みゆく

東近江市君ヶ畑をひと休みして、白鹿背山東光寺の写真で。
東光寺は紅葉の名所だそうですが、この季節は新緑が美しいにもかかわらず閑散としていました。

WEB版新纂浄土宗大辞典には次のように紹介されています。
 滋賀県東近江市平尾町。白鹿背山巨徳院。滋賀教区№二八。当寺縁起については二説あり、一説には推古天皇一五年(六〇七)聖徳太子がこの地を訪れた際、自刻の薬師如来像を安置し道場を建立し、以後、源信によって天台宗寺院として再興されたと伝える。また一説には貞観一五年(八七三)奈良薬師寺の僧、行賀が廃寺小倉山高野寺の別院として建立後、荒廃するも康暦二年(一三八〇)薬師寺の僧、智蓮により復興されたと伝える。永禄一一年(一五六八)戦禍を被って灰燼に帰すが、慶長年間(一五九六—一六一五)に、深誉円知によって浄土宗寺院として再興された。正徳三年(一七一三)・文化六年(一八〇九)・慶応四年(一八六八)と三度の大火に罹るも復興され、近隣に多数の末寺を擁し、知恩院門の中本山格に位した。

 粥煮ます母に寄り添ひ見る雨は木々の新芽に沁みゆきにけり  (塚本邦雄)

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PEN-F 135mm

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PEN-F 135mm

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PEN-F 135mm

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汗地にみちびかれ

滋賀県ばかり続いたので目先を変えるために、ご近所の散歩写真で。
長太(なご)のクスの木は地元では有名です。幕末に伊勢の人が書いた旅行案内書に、この木を「大木神社」というと紹介されているそうです。

 電工の汗銅線にみちびかれ地(つち)にしづくす このにがき蜜  (塚本邦雄)

楠ならぬ「シズクず」です。(汗)
きょうはことさら暑い日でした。

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こちらはクスではありませんが、自宅からブラブラして撮りました。
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