灯りのいべんと

一昨日地元でこじんまり行われた「灯りのいべんと」に行きました。
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E-M5 17mm

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E-M5 17mm

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E-M5mk2 42.5mm

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E-M5 17mm

 まいどまいど何撮ってるのという写真なので(汗)、言い訳がわりに、アサヒカメラ8月号の「脱・三脚、ファインダーで『上手な風景写真』から脱却せよ」という、写真家福田健太郎(※私はこの人を知らなかった)へのインタビュー記事から引用します。

「日本の自然」写真コンテスト(自然をテーマとした写真コンテストとしてわが国最大級だそうです。)で上位に入る風景写真が少ない、風景写真が弱いな、と感じているんです。こういうふうに撮れば、いいねっ、上手ねって、みんなに言われるような写真でしかない。いわゆる『上手な風景写真』からはみ出た作品がない。」
「竹内敏信のアシスタントを卒業するころ、富士フイルムプロ部の人に自分がイチオシと思う写真を見せたら、『この写真には、あなたが写っていない』と言われた。」
「『上手な風景写真』は否足しません。「もう、撮りませんけれど、私も『上手な風景写真』を撮っていました。美しい風景をそのまま撮りたいという気持ちで写真を始めた。そして、カメラ雑誌を手にして撮影データを調べ、同じ時期、同じ場所にたどり着き、同じアングル、画角で同じょうな写真を撮ってみる。写真でも絵画でも小説でも、最初は好きな作家のまねから始まります。私もそのひとりだったから、その気持ちはよくわかります。
でも、どうやって、さらに上を目指すか。そこからどう脱却するか。どう風景を見るのか。それは、もがかないと見えてこない。」
そのひとつが、「脱・三脚、脱・ファインダー」だった。
「20年前のポジフィルム時代の風景撮影のテクニック、いわゆる『お作法』が、そのままデジタル時代になっても受け継がれていると感じていた」。
レンズは単焦点を多用するようになった。ズームレンズは、単焦点レンズよりも厳密にフレーミングできる利点があるが、そこに落とし穴があると、福田さんは言う。
「体裁を整えることで、空気感とか、そういったものが画面から失われてしまう」
「目の前の美しい風景のリアリティーを写すのではなく、そこから五感を通して伝わってくる「何か」を撮影したい。」
最近、福田さんの作品を見た人から、「どこがいいのか、わからない」と言われたことがあるという。しかし、「わからないと思う人はそれでいい。無理してわかる必要もない」と言う。
「誰にでもわかるような写真ばかりを撮っていないし、自分がこれだと思ったものをどんどん撮っている。写真って、すごく自由なもの。」
「人々を魅了する自然の姿をありのままとらえる、という風景写真を否定する気持ちもありません。ほんとうにそれを撮りたいのであれば、それを追いかけるべきだと思いますね。」

いい言い訳です(笑)。

言葉で誤魔化す

昨夜は地元の小さな夏祭りでした。
前にいったのは3年前でしたが、昨夜の写真は間に合わないので今夜は毎度のトオヌップ3枚と昨日の昼間の写真1枚とで。

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15日に「敗戦記念日」に言及したので、塚本靑史「わが父塚本邦雄」を長々と引用します。

「『耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び』て言うんは、絶対に国民を慰労した言葉ではないんやで」
 一九四五年(昭和二十年)八月十五日(水)正午に始まった玉音放送についても一家言ある。
 歴史の一駒として有名になったフレーズへの誤解を、邦雄はよく論(あげつら)った。
「あれはアメリカ占領後の、予想される苦難の時代に突入する天皇自身の、屈辱に塗(まみ)れる覚悟を言うてるだけや」
 戦後七十年にもなろうとする今でも、八月になればテレビのどこかで戦争の特集が組まれ、無条件降伏の件(くだり)には定番のようにこの台詞(せりふ)が繰り返される。
 そして、ほぼ皆が皆、空襲や食料難に苦しみ抜いて、なおかつ生き残った国民への感謝や犒(ねぎら)いと受け取っている。
「天皇を奉じた軍部に、あれだけ非道い目に遭(あ)わされといて、そのうえ勝手に誤解してるんや。日本人て世話ないな」
 広島や長崎に原爆が投下され、ようやく日本は無条件降伏した。要するに太平洋戦争に負けたのである。相手側から『撃ちてし止まむ』(※「撃ちてし止まむ」は「銃の撃ち手がいつまでも弾を撃ち続ける」ではなく、「攻撃をしつづけて完全に攻め滅ぼすぞ」の意味だと、直前の文にある)を実行されて、どう言い訳しょうが、完全な敗北を喫したのだ。
 それでも政府関係者は、それを素直に認めようとはしない。良く言えば、日本人の劣等感を助長しないように努めたのだろう。
 そこを塚本邦雄は、決して「終戦」とは言わず、意識して「敗戦」なる語を用いた。「終戦記念日」ではなく、絶対に「敗戦記念日」でなければならぬのである。つまり、政府(大本営)やマスコミが当たり障(さわ)りのない言葉で、本質を誤魔化しているとの怒りがそう言わせるのだ。
 本質とは、日本人に負ける(徒労に終わる)戦争という災禍をもたらしたうえに、若者たちからかけがえのない青春を、いや、命すら無駄に奪ったということである。
 何の意味もないことで、日本史上に汚点を作ったのであった。
 確かにそれまでの大本営は、大空襲があって大勢の国民が死んだり、重傷を負って苦しんでいるにもかかわらず、「我が方の揖害、軽微」などと、常に国民へ嘘を吐(つ)いて欺(あざむ)いてきた。
 戦争の推進者は、全国が焦土と化しても、この戦争の無謀さに気づかないほど無能だった。いや、ようやく気づいた振りをしても、今度は「終戦」という語で誤魔化すつもりだと、塚本邦雄には映っていた。それよりも、喉元過ぎれば何とやらで、気がつくと再び同じような時代にならぬかと、警戒していたのかもしれない。

描きし画布鉛白にぬりつぶす

きのうの撮ったのは画家浅野弥衛(故人)のアトリエ兼自宅です。
今年6月開かれた何度目かの個展のポスターが光をアブストラクトに映していました。

きょうもアトリエで撮ったカットです。
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画家の評伝(永見隆幸著)の解説で、文芸評論家清水信が「アトリエにて」と題して、小林秀雄「近代絵画」を引用したあと以下のように書いていました。

(画家は)晩年になって、長く続いた商家の店先を改造して、アトリエを持つに至り、そこで私(清水)は床屋のケンちゃんや美子(弥衛次女)と共に、コーヒーを飲んだり未完成の作品を眺めたりしていたが、豪華なピカツのアトリエですら、ドストエフスキーの『地下室の手記』の舞台である地下室の様相を呈していたという小林(秀雄)の指摘に従えば、暖冷房の完備せぬ、採光も思わしくない浅野の改造アトリエなんぞは、文字通り地下室というべきであった。
その貧しい現実をはね返すイメージの豊鏡こそが、浅野の真実の生活だったのである。ドストエフスキーの大作群を生んだ実験室の暗さを我々は忘れてはいけない。浅野弥衛という月光的芸術を考える時、その暗さに耐えた時間と勇気の孤独が先ず評価されよう。
(後略)

 馬描きし畫布鉛白にぬりつぶし母、すなはち静物(ナチユール・モルト)を描けり  (塚本邦雄)

毎日いちまいトオヌップ。習慣は創造の芽をつむと思っているのですが、年寄りは心が弱いのです。
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